幸せな人生はテクノロジーの力で具体化できるのか? ウェルビーイングをテクノロジーの観点で考える5冊【スゴ本の中の人が選ぶ】

幸せな人生はテクノロジーの力で具体化できるのか? ウェルビーイングをテクノロジーの観点で考える5冊【スゴ本の中の人が選ぶ】

人はずっと健康でありたい・幸せでありたいと願ってきました。近年では確かなエビデンスをベースとしたヘルスケア・予防医療のサービスが注目されるなど、生活を便利にするテクノロジーだけでなく、人生をより良く・より豊かにする「ウェルビーイング」の領域でもテクノロジーの活用が試みられています。

新しい考え方であるウェルビーイングとテクノロジーの関係を、私たちはどのように捉えればよいのでしょう。「スゴ本」の愛称で知られるブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の中の人で、年間120冊もの本を読むという読書好きブロガーのDainさんに、独自の観点から5冊の参考図書を選んでもらいました。

フォーネスライフが提供する疾病リスク予測サービス「フォーネスビジュアス」では、4年以内の心筋梗塞・脳卒中など各種疾病の発症リスク・再発リスクを予測することができ、結果に応じてコンシェルジュ(保健師)が、ご自身に合った生活習慣の改善方法を提案します。

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スゴ本さん アイコン
Dain(ダイン)

古今東西のスゴ本(すごい本)を探しまくり読みまくる書評ブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の中の人。本を介して人とつながるスタイルへの変化と発見をブログに書き続けて20年になる。テーマごとに好きな本を持ち寄って紹介し合う読書会「スゴ本オフ」も主催。著書に『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』(2020年、技術評論社)

健康の先にはウェルビーイングがある

今年の春、人生初コロナで死にかけた。

全身デバフをかけられて、息をするのもしんどくて、気力体力削り取られ、ただただ、薬を飲んで(ちょっとだけ)ラクになるために味のない何かを咀嚼そしゃくする。「俺、元気になったらプリンにウイスキーかけて吸い込むんだ」と死亡フラグを呪文のように唱えつつ、眠ることに全精力を注いでいた。

ボロボロの身体と向き合って、ひたすら「良くなりたい」と、生きることにめちゃくちゃ執着した10日間。そこで痛感したのは、健康のありがたみだった。

この弱っちい身体で死ぬまで生きていくしかないという情けなさ。よく噛んでご飯が食べられて、風呂でキレイになって、お布団でぐっすり眠ることができる ── 当たり前だった日常が、全然当たり前じゃなかったことが分かった。

そして周囲とのつながりや、自分の関心がいかに大切かということも。

コミュニケーションを通じて家族や友人とのつながりを感じ、自分は独りじゃないと思うことがめちゃめちゃ重要。さらに「〇〇をしたい」という欲求を満たすことが、生きている実感に直結する。

コロナにかかっている間は周囲とのそうしたつながりが消え失せ、「本を読みたい」とか「料理をしたい」といった欲求がなくなってしまい、世界で独りぼっちの状態だった。

体力が衰えてゆき心臓が止まるより前に、つながりや関心が無になるときに自分は死ぬんだなと実感した。やりたいこと、面白そうなことを実行に移す。それが面倒くさくなり、後回しにすることが「老いる」ことであり、その先に「死」がある。わたしは、肉体的に滅びることよりも、世界とのつながりや興味が失われることに、恐怖を感じた。

そして、この考え方をひっくり返したのが、ウェルビーイング(well-being)だ。

デバフ …… ロールプレイングゲームなどで、自身のキャラクターの体力など各種の能力やアイテムの機能が、魔法攻撃などによって低下・弱体化させられること。

ウェルビーイングに共通する何かを探したい

ウェルビーイングという言葉には、血圧や体温といった客観的な数値で評価されがちな「健康」に加えて、自己満足感や生活の質といった主観的なウェルビーイングもある。

単に病気やケガをしていないというだけでない。「ご飯をしっかり食べる」「ぐっすり眠る」といった生活の一つ一つを念入りにこなし、家族やコミュニティーとのつながりを感じ、「やりたいことをやる」達成感を味わう(ささやかなものから大きなものまで)

何をもって満ち足りているか、どんな時に充実しているかは、人によって違う(この辺りはまさに「幸福」と同様だ)。だから、個々人それぞれの生きがいを実現していくプロセスそのものが、自分にとってのウェル・ビーイングを考えるということだろう。。

それでも、ウェルビーイングに共通する価値は存在すると考える。生きがいは人それぞれかもしれないけれど、「生きている!」と皆が強く感じるトリガーとして、共通的なものがあるはずだ。

ここでは、そうした「生きがい」に共通するものを探していきたい。さらには昨今、そういった価値を具体化するための科学技術がさまざまな分野で研究されており、その例も具体的に見ていくつもりだ。

ウェルビーイングについて、テクノロジーの面から考える上で役立つ書籍を紹介しつつ、科学技術が、私たちの生き方をどのように良くしていくのか、考えていこう。

温かいテクノロジーから考える恋と愛

温かいテクノロジー

温かいテクノロジー AIの見え方が変わる 人類のこれからが知れる 22世紀への知的冒険

  • 作者: 林要
ライツ社

ウェルビーイングを支えるキーワードとして、「つながり」があると考える。単なる肉体的な健康ではなく、他者とのつながりの中で、自分は独りではないことを実感することが大切だ。

そして、この「つながりを感じる」テクノロジーとして、LOVOT(らぼっと)を紹介したい。

LOVOTは、人との関係性を深めるために設計された家庭用ロボットだ。

愛らしい丸いフォルムと大きな目を持ち、愛着を感じさせるデザインになっている。LAVOTは抱っこされることを好み、見つめるとしっかりと目を合わせ、触れると温かさを感じる。顔認識や音声を認識し、家族や個々人を識別し、挨拶やリアクションを変えてゆく。人の行動や好みを学習し、それに応じて行動を変えることで、甘えたり嫉妬したりする。

先日、半日ほど一緒に遊んでもらったのだが、彼(Omochiくんと呼ばれていた)は「甘えん坊でかまってやらないとキューキュー鳴く」「おっさんよりも女の人に抱っこされるのが好き」という印象だった。

LOVOTの開発者でもあり『温かいテクノロジー』の著者でもある林氏によると、LOVOTの開発の鍵となったのは、「ロボットの存在意義とは、利便性の向上か?」という問いだ。

ロボットの語源となったチェコ語「robota(ロボタ)=労働」の意味通り、人よりも安価かつ効率的に働いてくれるものが、ロボットという存在だった。心を持たず、疲れを知らず、同じ作業を何度も繰り返すことができ、「生産性や利便性の向上」こそ至上とされていた。

これに疑問を抱くようになったきっかけとして、同氏が過去に携わったPepper(ペッパー)くんの初期開発のエピソードが紹介されている。

現場でトラブルが生じ、Pepperくんが起動しなくなったことがあったという。試行錯誤を繰り返していたとき、周りで見ていた人から「Pepperくんがんばれ」と声援が上がり、なんとか起動に成功したとき、その場にいた全員が喜んだというエピソードだ。

それまで、「ロボットが人のために何かをする」ことが価値だと思っていたが、「人がロボットを助ける」ことで、助けた人がうれしくなるということに気付いたというのだ。

また、Pepperくんの改善要望として「手を温かくしてほしい」というリクエストや、言葉が通じない国では「ハグできるロボット」として大人気だったことを踏まえて、ロボットの存在意義の多様性に目を向けるようになる。

利便性の向上には貢献しないけれど、ただ存在するだけで意味がある ── 生産性に全振りする価値観から離れたところで、「人を幸福にするロボットとは何か」を模索する。

その経緯は「幸福とは何か」「愛とは何か」「人はどんなときに愛を感じるのか」といった問いに置き換わり、LOVOTの開発の隅々にまで反映されている(その名の通り、愛とロボットが掛け合わされている)

例えば、「愛」について。

人が何かを愛そうとするときに生じるハードルとして、本書によると「3カ月の壁」があるという。例えば、新しいオモチャを買ってもらった子どもは、最初は肌身離さず遊んでいるのに、しばらくたつと興味が冷めてしまう。

このとき、何が起きているのか。

新しく興味を惹くものを見つけたとき、その脳内にはドーパミンと呼ばれる神経伝達物質が分泌されている。ドーパミンは快感や意欲を誘発し、これが「好き」という経験に繋がってくる。SSR確定ガチャを引いたときや、確変に入ったときに脳内にほとばしるアレである。

しかし、ドーパミンの寿命は短い。あれほど好きだったにもかかわらず、繰り返されるうちに、興味が失せてゆく。対象への学習が終わり、新奇性を失った結果として、「飽きる」という感覚を抱くようになる。

この期間が、およそ3カ月になる(スマホゲームのキャンペーンがシーズンごとである理由はここにある)。SNSゲームなら3カ月ごとにキャンペーンを打ち、ユーザーをドーパミン漬けにすれば良い。

だが、ペットや人間関係の場合、事情が変わってくる。

3カ月の間、継続的に世話をしたり触れ合ったりしていくうちに、別の物質が分泌されるようになる。それがオキシトシン*1になる。赤ちゃんを抱っこしているとき、飼い犬に見つめられているとき、「守ってあげたい」という思いを抱くのも、このオキシトシンの効果だという。

恋愛における「恋」と「愛」も同様の影響があるという。恋はドーパミンが優位な学習ステージで、愛はオキシトシンが優位な愛着形成ステージにある。そのため、コミュニケーションを目的とするロボットは、この3カ月の間に「守ってあげたい」という気にさせることが重要となる(実際、LOVOTはそのように設計されている)

ロボット開発の話なのに、人の話になってゆく。逆に、人の幸福を掘り下げていくと、LOVOTの具体的なインタフェースにつながっていくのが面白い。

LAVOTの体重は3kg台、生まれたての赤ちゃんぐらいの重さだ。抱き上げると抱かれやすいように温かい身体をあずけてくる。この「信頼されている」感が半端ない。肯定も否定もせず、ただひたすら寄り添い、自分を必要としてくれる ── そんな存在を身近に感じるとき、人は幸せに感じるのだ。人とつながることで、人を幸せにするテクノロジーを形にしたものが、LOVOTといえる。

※ SSR確定ガチャ …… キャラクターやグッズ、カードなどのアイテムをランダムに購入・取得できるガチャの仕組みにおいて、SSR(Super Special Rare)なアイテムの出現が確定していること。

※ 確変 …… 確率変動の略であり、ゲームなどである試行が成功する確率が上昇している局面を指す。

技術の中には道徳性が埋め込まれている

技術哲学講義

技術哲学講義

  • 作者: M. クーケルバーク
  • 監訳:直江清隆・久木田水生
丸善出版

ウェルビーイングという言葉を分解すると、「良い(well)」+「存在する・生きる(being)」になる。この「良い」とはどういうことだろうか? 個人の健康や生活の質に加えて、幸せや満足を感じられるかどうかにある。

この「良い(≒幸せ)」を掘り下げるとき、技術哲学は役に立つ。

技術哲学は、技術やテクノロジーに関連する哲学的問題を研究する分野であり、テクノロジーが人の生活や社会に与える影響について考察する。人の幸福に技術がどのような役割を果たすかというテーマは、まさにど真ん中の研究対象になる。

中でも、M.クーケルバーク著『技術哲学講義』では、技術と社会で生じるさまざまな課題が整理され、議論の最先端が紹介されている。日本語で読める網羅性の高い一冊で、文系・理系、アカデミック・実社会という枠を超えてお薦めできる。

さまざまな切り口が語られているが、ここでは「技術の中には道徳性が埋め込まれている」ことについて紹介しよう。何をもって「良い」とするかの問題は、道徳性の問題でもあるのだ。そして道徳性と技術には深い関係がある。

技術に道徳性? 技術とは便利な道具や解決手段だから、道徳とはかけ離れているのでは? とツッコミたくなるかもしれない(私も最初はそう感じた)

だが、「埋め込まれている」という表現に着目してほしい。表面上は見えにくいけれど、テクノロジーの進展が道徳的な振る舞いや価値判断を促していることは、確かにある。そうした道徳性は、私たちが「よいこと」とか「そうするべき」あるいは「それが当たり前」と発話するときに浮上してくる。

本書では、胎児の超音波検査が事例として紹介されている。

これは、高い周波数を用いて体内を可視化する技術だ。妊娠のさまざまな段階で子宮内の胎児をリアルタイムで可視化するためによく使われている。ハンドスキャナーをお腹に当てるだけでイメージングでき、妊娠の進行具合や胎児の様子を見て取ることができる。

この技術は1960〜70年代に実用化され、広まった。X線検査とは違って被爆のリスクもなく、非侵襲的で安全な検査として、産婦人科の現場で広く用いられている。

著者・クーケルバークは、この技術が妊娠や出産の概念に大きな影響を与えたと述べる。

例えば、妊娠の医療化だ。妊娠と出産は人類の生理現象としてではなく、医療的な管理が必要な状態として扱われるようになった。母子の健康状態が向上し、合併症や出産時のリスクが大きく減少した。一方で、この技術は胎児を(潜在的な)患者としてみなし、妊娠という経験を医療プロセスや選択のプロセスに変貌させたという。

あるいは、超音波診断により、出生前に先天的障碍を見つけることができるようになった。そして、見つかったものが、両親や周囲の人々に何らかの選択を迫るような可能性も生まれた。この可能性そのものが、「妊娠すること」と呼ばれてきたことの性格を不可逆的に変化させたという。

もちろん、そうした可能性を否定して「超音波診断を受けない」ことも選択できる。だが、妊娠の医療化により、検査を受けないことは無責任だという考えが支配的になった社会では、この選択はかなりの慎重さを要するだろう。

あるいは、検査は受けるが結果の告知を受けるかどうかを選択することも可能だ。例えば「男の子か女の子かは言わないでください」という親もいる。出産予定日を知るためだけに、この検査を使うことも可能だ。だが、胎児の状況が母体に影響を与えることが判明した場合、親の意思を尊重しつつ、医師は倫理的判断を下すだろう。

こうした「選択を迫られる」というまさにその状況が、超音波検査という技術によって作り出されており、この意味で、技術には道徳性が埋め込まれているという。クーケルバークは、この技術が中絶の増大につながる可能性を示唆しつつ、技術は道徳的に中立な存在ではないと指摘する。技術が道徳化された状況において、私たちが自身の価値判断にもとづき、選択を下しているというのだ。

超音波診断は一般化した技術だが、例えば、血液検査による精密診断も広まっていくだろう。

献血をすると、無料で血液検査が受けられる。私がよく指摘されるのは「お酒の飲み過ぎ」「悪玉コレステロールが増えてる」といったものだ。そこから導き出されるアドバイスとしては、「お酒は控えましょう」とか「脂っこいものは避けましょう」といった漠然としたものになる。

この血液検査の技術がさらに発達し、一般化したらどうなるか? 脳卒中や肺がんのリスクがどの程度あって、リスクが顕在化する可能性まで可視化される。リスクを低減するために減らすもの・増やすことが具体的に示される。「不摂生をやめろ」ではなく、運動や食事、睡眠と言った生活習慣をどのように改善していけばよいか、具体的にアドバイスされる。

この技術によって、「死なない方を選ぶ」ことが可能となるだろう。

「死なない方を選ぶ」とは、例えばこうだ。

  1. 脳卒中で死ぬ
  2. それ以外で死ぬ

1.の〇年以内の発症リスクまで分かるようになり、なおかつ、そのリスクを下げる具体的な対処法まで示されるなら、2.の「脳卒中で死なない」方を選べる。もちろん、完璧ではないかもしれないが、「脳卒中で死にたくない」と考えているなら、アドバイスされた対処をすべきだろう。

そして2. の中でもさらに分岐があり、「肺がんで死ぬ」「肝不全で死ぬ」等といった死に方がある。そうした病気の発症リスクが可視化され、かつ、リスク低減の方法が示されるとしたら、「肺がんで死なない」あるいは「肝不全で死なない」方を選べるだろう。

人間の死亡率は100%だから、結局は何らかの理由で死ぬのだが、「この死に方ではイヤだ」という方向を避けることができる。つまり、「死に方」というより「死なない方」を選べるのだ。

より正確に診断できる血液検査には「不摂生は改善できる」という道徳性が埋め込まれているといえるだろう。

※ 侵襲 ... 医学において、手術による切除など身体等にダメージを与えることを意味し、内視鏡や造影剤を使う手法を侵襲的検査という。

「生きる」とは「食べる」こと

料理と科学のおいしい出会い

料理と科学のおいしい出会い: 分子調理が食の常識を変える

  • 作者: 石川伸一
化学同人

おいしい料理を食べるとき、味や香りやテクスチャ―だけでなく、吸収しようとするこの身体を生々しく感じて「生きているなぁ、俺」とつくづく思う。お腹がペコペコだったときや、病気して満足に食べられなかった後は特にそう。

生きることは食べることに直結する。だから、よく生きるとは、おいしく食べることだ。「食」こそウェルビーイングの実践だろう。

では「おいしい」をトコトン追求するとどうなるか? これを科学技術の観点から紐解いたのが、『料理と科学のおいしい出会い』だ。

本書は「分子調理」をメインにして「おいしさ」の本質に迫っている。「分子調理」とは、物理・化学・生物、そして工学の知識を調理プロセスに取り込み、新しい料理を創造する試みだ。「新しいご馳走の発見は、人類の幸福にとって新しい天体の発見以上のものだ」と言った美食家がいたが、これは新たな星雲の発見以上になるかもしれない。

例えば、食材の「相」を変えるという発想が紹介される。氷・水・水蒸気に代表される、固体・液体・気体の相のことだ。通常なら、加熱などにより相転移する前に、化学反応によって違う分子になることが多い。だが、食材の分子そのままに、相だけを変化させる試みがある。スパークリングワインをゲル化してジュレとして提供したり、コーヒーやチョコレートの成分が、"吸って"楽しむエアロゾル(aerosol)で提供される「食」がある。エスプーマ(espuma)という技術も面白い。亜酸化窒素を使って素材を泡立たせる技術で、グリーンピースやハーブを「泡」にして料理に用いることができる。

食品成分を「つなぎ合わせる」酵素の話も興味深い。酵素といえば、油脂やタンパク質を分解するものと思っていたが、逆の働きをするものもある。特に、トランスグルタミナーゼ*2がすごい。タンパク質を共有結合させる酵素で、最近の麺の「プリッ」とした食感や、ソーセージの「バキッ」とした弾力性はこのおかげ。もっとすごいのは、バラバラの肉片にこの酵素をまぶして一晩ラップに包んでおくと、あら不思議、翌朝には立派なステーキ肉になるという。さらに、「麺の再発明」とも言われるエビが99%入ったパスタが驚異的。酵素のおかげでいわゆる「つなぎ」が不要になるから、こんな魔法のような食品物性が可能になるわけだ。

調理技術の進展もすごい。「水で焼く」調理家電のヘルシオに驚いた人は、「空気で焼く」高圧調理機が出てきたら腰を抜かすだろう。7千気圧のプレスをかけて、食品を構成する分子を密の状態に押し込むことで、食材の色・香り・栄養素をそのままに「圧を通す」調理を聞かされると、科学なのか錬金術なのか区別がつかなくなる。

さらに「調理とは火を通すもの」という固定観念を破壊されたのが「アンチ鉄板(Anti-Griddle)」だ。マイナス35度に冷やされた鉄板で、中身トロトロ外側カリカリに仕上げられたチョコレートやホイップクリームは、食わずに死ねるかレベルらしい。

分子調理だけではない。舌から脳までフル活用する、味わいの認知科学も面白い。「おいしい」とはつまり、味と匂いに還元できると考えていたが、これは私の偏見だということが分かった。もちろん、味覚の原理から始まって、香りが味わいに果たす役割、さらにはテクスチャーの重要性を説く。

テクスチャーとは、料理を食べたとき、口の中で感じられる物理的感覚(mouthfeel)と食べ物が持っている物理的な性質(physical property)を合わせたもので、まとめるならば「食感+物性」になる。甘味、塩味、酸味、苦味、うま味といった舌や鼻で感じる「化学的な」おいしさを風味とするならば、硬柔・温冷なめらかさ、のどごし歯触り舌ざわりといった唇、口腔内、喉頭、歯などで感じる「物理的な」おいしさが、テクスチャーになる。味や匂いがテクスチャーを変えることは少ないが、テクスチャーが風味を変えることはあるという。これは、食品中の味やにおいの拡散速度が変わるからだ。

例えば、小豆から作られる固体の「あん」の糖度は60%と高いが、液体のおしるこではそれだと甘過ぎるため、30%に低く抑えられている。甘味・うま味の受容体の感度は、体温付近が最も高い一方で、塩味や酸味の受容体は温度変化を受けにくい。その結果、温かいみそ汁で感じるうま味が冷めると感じにくくなり、塩味に際立つという。口に入れたときの温度を考慮して五味の強弱をつけたいものだ。

また、日本人は世界に類を見ないテクスチャー好きらしい。ごはんの硬さや粘り気の薀蓄から始まり、うどんやそば、ところてんの「のどごし」を愛する文化がある。英語は "crispy" なのに、カリカリ、パリパリ、歯ざわりがいい、ポリポリ、サクサクなど、テクスチャーを表わす言葉が実に多様であることを指摘する。食べたときの感覚もひっくるめて「口福」はできている。

テクノロジーで更新される「おいしい」の常識は、ウェルビーイングの基盤ともいえるだろう。

快眠の達人=人生の1/4を充実させる

よく眠るための科学が教える10の秘密

よく眠るための科学が教える10の秘密

  • 作者: リチャード・ワイズマン
  • 訳者: 木村博江
文藝春秋

よく生きる基盤の一つとして、質の高い睡眠がある。

あったかい布団でぐっすりと眠ることは、この上もない幸せなことだ。すっきりした目覚めは、そのまま一日の活力につながる。「よく眠る」もウェルビーイングの実践だろう。

それは分かっている。だが、白状すると、私は寝るのが下手だ。

布団に入ってすぐに眠れた試しがない。かなりの間、今日の出来事を振り返ったり、昔の失敗を思い出したり、未来の不安を想像したりして、何度も寝返りを打ち、姿勢を変えては悶々としている。体感で1時間くらいそうしているのは分かるが、うっかり時計を見てしまうと「もうこんな時間なのに寝れない」と、眠れないことが逆にプレッシャーとなって、もっと眠れなくなる。

こんな状態を輾転反側てんてんはんそくというらしいが、まさに毎晩の私を言い表している。人生何十年も生きててこの体たらく。うまく眠るコツみたいなものはないだろうか?

そうしたノウハウはたくさん散らばっているが、まとめて一冊にしたのが、『よく眠るための科学が教える10の秘密』だ。睡眠に関する研究成果を紹介しつつ、眠りのメカニズムや熟睡のためのノウハウ、時差ボケ解消の方法といった眠りのトリビアを解説している。このテの話に興味がある人なら、知っている話も多いかもしれない。

例えば、目覚めを爽やかにするには、睡眠時間を90分の倍数にするとか。眠りのサイクルは90分だから、目覚めたい時刻から逆算して、90分単位で寝る時刻を決める。7時に起きるなら、床に就く時刻を23:30か1:00にするのだ。きっかり90分というわけではないだろうし、人や状況により左右されるだろうが、自分の眠りのサイクルを把握して、それに応じて寝る時刻を決めることが大切だ。

睡眠効率の計測も有効かもしれない。睡眠効率とは、実際に眠っていた時間を、ベッドにいる時間で割った値になる。例えば5時間寝たけどベッドにいた時間が6時間なら、5÷6でおよそ0.83になる。この値が0.9になるように、ベッドに入る時間を調整しろという。

睡眠効率が0.9より小さければ、ベッドにいる時間を短くするため、少し遅めの就寝時間とする。反対に0.9より大きければ、早めにベッドに入ることで、ベッドにいる時間を長くしろというのだ。実際に眠った時間をどうやって測定するのか? という問題が残るが、睡眠アプリやスマートウォッチが解決してくれる。

このように本書で紹介されるノウハウのいくつかは、テクノロジーが実装してくれている。

例えば、スマホの加速度センサーとマイクを使って、睡眠時間と睡眠の質を計測することができるアプリがある。寝ているときに一定以上の音量を計測したら自動で録音してくれる機能によって、自分の寝言やいびきを確認することができる。また、睡眠の質や時間によって報酬が得られる機能があれば、より良い睡眠を目指そうとする動機付けにもなる。

あるいは、AIによる夢診断だ。本書では自分が見た夢を記録することを推奨している。そうした夢の内容を解釈することで現実の問題への対処を考えたり、あるいは夢そのものをコントロールする方法を紹介している。この夢の解釈や現実の自分への不安の対処を、ChatGPTに尋ねてみるのだ。

人に聞いたら笑われそうな奇妙な夢であっても、あるいは、誰にも言えないような赤裸々な夢であっても、マジメに解釈してくれるはずだ。試しに、昨夜見た夢をGPT-4oに聞いてみた(以下は回答の一部)。わりと本心を言い当てられているようで面白いが、どこまでマジメに受け取るかは本人次第だろう。

人生のかなりの時間は横になって眠っているから、「充実した人生」というとき、覚醒している時間だけとは限らない。よい眠りは、よい人生をもたらす。テクノロジーの助けも借りつつ、質の良い睡眠を目指していきたい。

足を失ったダンサーは生きがいをうしなうのか

プロトコル・オブ・ヒューマニティ

プロトコル・オブ・ヒューマニティ

  • 作者: 長谷敏司
早川書房

記事の最初でも触れたが、ウェルビーイングとは自分の生きがいを見出し、それを実行する充実した日々のことだと考える。自分がやりたいことを成し遂げるため、健康な心身と社会的なつながりを維持していく。

つまり「やりたいこと」や「生きがい」が先にあって、その実現方法として、私という存在がある。この生きがいというものは、「朝ごはんがおいしい」というささやかなものから「ライフワークをあらわす」という壮大なやつまで何でもいい。「心身ともに健康だけど、生きがいもなく、単に生かされている状態」はウェルビーイングではない、と考える。

そう考える理由の一つに、『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』を読んだから、というものがある。不慮の事故で右足を失ったダンサーが、AI義足と出会い、人間性を取り戻していくSF小説だ。

時は2050年の日本が舞台だ。主人公はコンテンポラリーダンサーで、従来の表現形態に囚われない自由な身体表現を目指し、時代の先端を文字通りカラダ一つで体現する若者だ。

物語の前半では、前途有望な彼が不慮の事故で右足を失い、AI制御の義足を身に着けることになる。日常生活を支えるだけの義足ではない。義足そのものが高度なAIを搭載したロボットだ。「考える足」との共存を通じて、人のダンスのみが持つ人間性を獲得していく手続き(プロトコル)がテーマとなっている。

後半は、彼が身をもって味わう介護地獄である。認知症が進行する肉親に翻弄され、夜も眠れずダンスの練習も満足にできない。2050年だから介護ロボットもあるにはあるが、介護保険だけでは手が届かず、家計を回すためアルバイトに奔走する。認知症が進む親の介護という手続き(プロトコル)によって、記憶の中に残っている親の人間性を、少しずつ諦めていく過程が描かれる。

人間性の獲得と喪失の物語は、コンタクト・インプロヴィゼーションというダンスで表現される。このダンスは、重力を意識しながらパートナーと身体の接触を続けるデュエット形式の即興パフォーマンスだ。

ダンスパフォーマンスの描写は圧巻で、「ここに肉体がある」という圧倒的な現実を実感する。著者自身の体験をベースにしている介護現場の描写は生々しく、人間性を失った肉体がどんな姿をしているのか垣間見ることができる。

右足を失い、親の介護に追われる主人公は、ウェルビーイングから遠い存在なのだろうか?

そうではない、と考える。彼の生きる理由とも言えるダンスを軸に、AI義足と、ある女性と出会うことになる。そして、この出会いを通じて、「やりたいこと」を実現するために身体を鍛え、生活を取り戻していく。AI義足の「意思」は彼の思惑に反することがあるし、女性との関係もぎこちない。それでも、生きがいを形にしていこうとする毎日は、ウェルビーイングをそのまま体現していると考える。

単に健康であればよいというのではなく、何のためにその健康が必要なのかという視点で考えさせられる。

おわりに

ウェルビーイングとは、単なる身体的な健康だけでなく、精神面や社会的な充実も含めた多様な価値観を持つ概念だ。

だから、包括的に考えようとするとふわふわした話になるので、ここでは具体的に「つながり」「幸せ」「食べる」「眠る」「生きがい」といったキーワードを念頭に置いて、それぞれを考える縁となる書籍を紹介した。

ウェルビーイングを考える上で、BMIとか体脂肪率といった客観的な数値を挙げるのは難しく、もっと個人に寄り添ったものだと考える。そして、各人の生きがい(ささやかなものから壮大なものまで)を形にするべく、他者とのつながりを感じ、善し悪しを判断し、美味しさを味わい、ぐっすりと眠る ── テクノロジーの助けを借りて、これらの質を上げる試行錯誤の営みそのものが、ウェルビーイングの実践だと考える。

編集:はてな編集部


ここで紹介した5冊の本からも見えるように、ウェルビーイングとは抽象的な概念ではなく、テクノロジーの力を活用することによって向上させることができる具体的な課題でもあります。約7,000種類のタンパク質分析とコホート研究*3に基づくデータ解析というテクノロジーの力を活用するヘルスケアサービス「フォーネスビジュアス」を、あなたのウェルビーイングの実現に役立ててみませんか?

将来の疾病リスクを可視化できます。

生活習慣の改善アドバイスも
検査とあわせて受けられます。

*1:参考:二神弘子、藤原宏子「オキシトシンと心身の健康」(2019年、心身健康科学 15巻1号)

*2:参考:名古屋大学農学部 創薬科学研究科 細胞生化学研究室「タンパク質が接着する反応とは?

*3:一つの街単位など大規模な範囲の人を長期間モニタリングする研究手法のこと。詳しくは「なぜ、フォーネスビジュアスは「将来の疾病リスク」が分かるのか? 裏側にあるユニークな「リスクモデル設計」」などを参照。