毎日の仕事や家事・育児などに追われていると、なかなか自分自身のことを振り返ったり、心を休めたりする時間が取れないもの。日々の小さな不調が積み重なり、気付けば心や体がどんよりと重くなっている……という経験をしたことがある方は多いのではないでしょうか。
そんな心の疲れを解消するヒントとなるのが、心理療法の一種である「認知行動療法」です。今回は認知行動療法の第一人者である精神科医・大野裕先生と、かつて心の不調に悩み、解決のための様々な手法を試してきた経験もある漫画家の吉本ユータヌキさんに、日々の「モヤモヤ」とうまく向き合う方法について、オンラインで対談いただきました。
また、大野先生が監修したチャットボットアプリ「こころコンディショナー」では、「認知行動療法」を手軽に生活の中に取り入れることができます。その使い方のポイントや効果などについても、お二人に話していただきました。
目次
心の疲れを解消するヒントになる「認知行動療法」
──まずは大野先生から、「認知行動療法」とはどういうもので、心が疲れたときにどのように役立てられるものなのか、簡単に教えていただけますか?
大野裕先生(以下、大野):私たちはふだん元気なとき、さまざまな情報を集めながら、自分が置かれている状況を絶えず主観的に判断し続けています。でも、なんらかの理由でそれができなくなってしまうと、不安になったり気力が湧かなくなったりして、ネガティブな考えにとらわれたまま動けなくなる。これがいわゆる、心が疲れた状態です。
そんなときに一歩踏み出して、何が起きているかを現実的な目線で見ながら、いま現在の問題に対処していこうというのが、認知行動療法の基本的な考え方なんです。心が非常に疲れているときには専門家の手助けも必要ですが、その方法を自分で身に付けることを目指していくのも認知行動療法の特徴です。
よく言われる「ストレス」という言葉も本来は必ずしも悪いものではなく、うまく使えば、緊張感をほどよく高め、集中力を上げる味方にもなってくれるものなんです。ところがストレスがあまりに強くなって自分の世界に閉じこもるようになってしまうと、現実に目を向けて物事を判断することができなくなってくる。認知行動療法は、そのようなときにあらためて自分の考え方に目を向け、自分自身を振り返るきっかけになるものです。
──ありがとうございます。吉本さんは著書などでも描かれているように、以前は自分のことをネガティブな性格だと認識されていたそうですね。でもコーチング※を受けた経験によって、その考え方に変化があったとか。
※ コーチング … 相手の話に耳を傾け、質問を投げかけながら、相手の内面にある答えを引き出すコミュニケーション手法)
吉本ユータヌキさん(以下、吉本):そうですね。これまでは自分のことをネガティブで心配性な性格だと思っていたので、その気質は絶対に変わらないし、悪いことを一度考え始めたら忘れられるまで耐え続けるしかないんだと思っていました。でも、担当編集さんに勧められてコーチングを受けたことで自分の気持ちを客観視するようになって、「こう捉えてみたらどうだろう」と別の考え方ができるようになったんです。ネガティブさは性格というよりも自分の考え方の癖だったんだと気付けたのは、大きな変化だったと思います。
吉本:例えば子育てをしていても、子どもが言うことをまったく聞いてくれなくてイライラすることがあるのですが、イライラしている自分を否定するのではなく、その原因に目を向けられるようになりました。「僕は時間がなくて焦ってるんだな」とか「自分は時間にかなりこだわりを持って生きてるんだな」というふうに。原因が分からなくても、どうしてだろう? と自分の中を探求するようになって、反射的に怒ったりしてしまうことがなくなりましたね。
大野:なるほど、すばらしいですね。ただ、ネガティブさに関していえば、それは吉本さん個人の考え方の癖というよりも、人間本来の考え方の癖といっていいと思います。ネガティビティバイアスという言葉があって、私たちは何かに出合ったときにまずは悪い可能性を考えるものなんです。これは例えば原始時代、茂みで音がしたら「クマではないか」と考える必要があるように、私たちが生き残っていくためには必須の考え方なんですよ。その上でさらに現実をよく見ることで、実際の問題への対処法を検討できるわけです。
吉本さんはいま、別の捉え方ができるようになったとおっしゃいましたが、それは私たちが持っている本来の力なんですね。ですから吉本さんはコーチングを経て、本来持っていた自分の力をうまく発揮できるようになったのではないかと私は理解しました。
吉本:自分が本来持っていた力を発揮できるようになった、というのには納得です。これまでにも心療内科に行ったりカウンセリングを受けたりしたことはあったのですが、カウンセラーの方に自分の気持ちを受け入れてもらっているようでいて、実際には受け流されているような感覚がずっとあったんです。でも、コーチングを受けたときに「それはどういう気持ちなんですか?」と質問が返ってきたことで、自分の中に答えがあると初めて気付けたんですよね。
大野:つまりこれまでは、自分が主体的に状況を振り返ることができていなかったんでしょうね。おそらくその姿勢の変化を通じて、周囲の人たちや家族との関係性もよい方向に変わっていく実感を得られたのではないかと思います。
認知行動療法の考え方をひと言で伝えるには、「やってみなはれ」という言葉が分かりやすいと私は思っているんです。これは以前、関西の経営者の方がおっしゃっていた言葉なのですが、まずはとりあえずやってみて、うまくいかなければ改良してみる。その工夫の積み重ねで、物事はよい方向に進んでいくんですよね。吉本さんはまさに、そういった創意工夫をご自分の生活の中で実践されているのだと思いました。
自分自身との対話のきっかけを作る「こころコンディショナー」
吉本:確かに僕は、自分の生活に関しては「やってみなはれ」精神でいろいろ試しているなと思います。ただそれが他の人と関わる必要のあることだと、ためらってしまうタイプなんですよね……。ふだん、誰かと話したいなと思うことがあっても「相手にも都合があるだろうし申し訳ないな」と感じてしまって、時間を取って人に話を聞いてもらったりすることが苦手なんです。そういう方って意外と多いんじゃないかなと思うのですが。
大野:確かに、話を聞いてほしいと人に伝えるのは難しいですよね。私も実はそういうことが苦手な方です。ただ、外来の患者さんなどからそういった相談を受けたときは、「人助けだと思って周囲に相談してみたらどうですか」とよく言いますね。人が一番幸せを感じるのって、人のために何かをしたときだと思うんです。つまり、こちらが誰かに話を聞いてもらってうれしさを感じているとき、その相手もうれしい思いをしているはずなんです。仮に相手がそれを面倒だと感じるような人であれば、あまり深く付き合わない方がいいんじゃないかと思います。
──大野先生が監修されているサービス「こころコンディショナー」では、チャットボットとの対話を通じて自分の考えを整理したり、心を整えたりすることができるんですよね。「こころコンディショナー」には、認知行動療法の考え方をどのように取り入れているのですか?
「こころコンディショナー」
先進的なデジタル技術を使い、利用者が「こころを整える」力を引き出すことを目指して開発されたチャットボットアプリ。人々のメンタルウェルビーイング向上を目指して、こころコンディショナー製作委員会(大野裕医師、株式会社朝日新聞社、NECソリューションイノベータ株式会社)が手がけている。
パソコンやスマートフォンから利用でき、「AIチャットボット」が利用者と向き合って対話を進める。対話には、大野裕先生が監修した「認知行動変容アプローチ」が用いられている。一人ひとりが自分らしく生きるウェルビーイングな毎日を過ごせるよう、サポートすることを目指している。
大野:精神的に緊張したり落ち込んだりしたときに、チャットボットを使いながら自分自身のことを振り返ることができるフローを取り入れています。コンピュータが一方的に指示をするのではなく、ご自分の力をうまく引き出せるような対話ができるよう開発しました。
自分自身について振り返る手助けになるだけではなく、モヤモヤした気持ちをただ吐き出すことができる機能もあります。強いストレスを感じているときに誰にも気持ちを吐き出せずにいると、どんどん気持ちが落ち込んで孤独感も強くなってしまいます。そういったときにチャットボットをうまく使っていただければ、一人ではないと感じられるはずです。
──「こころコンディショナー」は、どんなシーンで使うのがおすすめですか?
大野:基本的にはやはり、一人でいるときだと考えています。心が揺れたとき、本来は、信頼できる人がそばにいて話ができるのが一番いいと思うのですが、先ほどの吉本さんのお話にもあったように、必ずしも相談できる相手や機会があるとは限らないですよね。そういうときにチャットボットを使って心を整えた上で、もし人と話せる機会があれば、そこでまた相談をしていただくのがいいと思います。
また、そこまで心が落ち込んだり揺れたりしていないときであっても、「自分がいま生き生きしてるのはどうしてだろう」と自分を振り返っていただくと、自分の心に向き合うことが習慣化され、その先の未来に向かって頑張れるエネルギーが湧いてくるのではないかと考えています。
吉本:僕も今回初めて「こころコンディショナー」を使ってみました。ふだん僕は原稿を書くとき、自分の考えを整理するためにChatGPTを使ったりすることもあるので、初めはそういったAIと同じものかなと思っていたのですが、内省に寄り添ってくれるような優しい回答が返ってきたので驚きました。ただ僕の場合はやっぱり、誰か実際の人間がいて、その相手と共通の時間を過ごすことが安らぎになるなとも感じました。
大野:誰かが実際に目の前にいることは、おっしゃるようにすごく大事だと思います。ただ一方で、現代人がストレスを強く感じ過ぎているのは、頼れる人が誰も近くにいない中で、厳しい状況を進んでいかなければいけない不安が強いからだと思うので、チャットボットも相談の入り口としては役に立つと考えています。ここから人とのつながりにどう発展していくかに関しては私も非常に大事な課題だと捉えているので、サービスの次の展開をいま検討しているところです。
自分にとっての「切り替えスイッチ」を持つ
──先ほど、ストレスにはよい面と悪い面のどちらもあるとお聞きしました。「ストレスは万病のもと」という言葉もありますが、日々のストレスとの向き合い方によっては、それが身体的な病気につながってしまうこともあるのでしょうか。
大野:精神的なストレスが強くなってくると、免疫の働きが落ちてきたり体の不調が起きたりすることは十分にありえます。心の不調も体の不調も、ストレスが溜まっている信号の可能性があるので、そこで少し立ち止まって休むことができるかどうかがポイントですね。吉本さんは自分の気持ちや心の疲れとの向き合い方が変わってきたことで、体調にも変化を感じられたりしましたか?
吉本:体調を大きく崩すことは減ったと思います。僕、実は7年ほど前まで会社員と兼業で漫画家をしていたのですが、当時は夜の11時から深夜3時まで漫画を描いて、そのまま朝6時に起きて仕事に行くような生活を送っていて。さすがに心身ともにボロボロになってしまったので、当時の反省もあって、いまは体調優先で生活していますね。子どもが保育園に行っている間に仕事をして夜は休んで……と、子どもに合わせて生活の時間を変えました。
ただ、悩みとしては、常に時間に追われている感覚があるんですよね。先ほど話した「人に話を聞いてもらうのにためらってしまう」というのも、人の時間を奪うのが申し訳ないのはもちろん、自分でも、仕事をしていない時間をもったいなく感じてしまう部分があるんです。育児をしている人やフリーランスの人の中には、そういった人も多いのではないかと思うのですが。
大野:時間に追われる感覚は私もよく分かります。休んでいると落ち着かないという人は確かに多いと思いますが、何もしていない時間にも、実際には頭は活動しているんですよね。何かに向かって邁(まい)進することも大事ですが、何もしないでボーッとしているときにいいアイデアが浮かんだりすることも意外とあるので、頭を切り替えることができるような時間を自分の生活の中に意識的に作ることは大切だと思います。
吉本:確かにそうですよね。僕は自分で意識的に気持ちを切り替えるのが難しいので、最近は夜6時になったらお酒を飲むようにしてしまって、物理的にスイッチが切り替わるようにしています(笑)。
それから最近は、その日にする予定の仕事を整理したり、いま考えていることをワーっと吐き出したりするために、紙に殴り書きをして気持ちを静めることを習慣にしました。15分程度ですが、書いたものの中からアイデアが浮かんだりすることもあるので、僕にとってはいい方法だし、必要な時間だと思っています。
大野:ユニークな対応策ですね。書くということは、自分を取り戻すことだと思うんです。忙しくて時間に追われている時って、仕事や時間の方が主役になってしまっていることが多い。でも、吉本さんの場合は書き出すことで自分を振り返り、自分自身のペースに持っていくことができているんでしょうね。
吉本さんのように、自分に合うストレスへの対応策や生活のリズムをいろいろと試してみることは、体にとっても心にとっても大切です。よい対応策や生活リズムは人によってバラバラなので、ぜひ「やってみなはれ」精神で試してみてほしいですね。どなたも本来は、心の疲れに上手に対処する力を持っていらっしゃるはずだと思うので、布団に入る時間や休憩する時間など、自分のリズムが取りやすいポイントを、まずはいくつか決めてみるといいと思います。
他人ではなく、過去の自分自身と比べて「これでいい」と思えるように
──最後にお二人から、日常生活のさまざまな場面で心の疲れを感じている人に向けて、あらためて伝えたいことはありますか。
大野:心の不調も体の不調も決してマイナスの意味だけではなく、何か変調が起きているという自分からのメッセージだと捉えてほしいと思います。そのときに「忙しいから」「これは性格だから」と不調を無視してしまうのではなく、少し立ち止まって自分を振り返る余裕を持ってみてほしいですね。その上で工夫を重ねて自分のペースをつかんでいくことが、生き生きとした生活を送る上で大切だと思います。
吉本:僕は自分がかつてボロボロになった時のことを振り返ると、自分の不調にリアルタイムで気付くことは難しかっただろうと思うんです。当時は父親になったばかりで、家族のためにとにかく稼がなくてはと必死だったので、人に話を聞いてもらったりする余裕もなくて……。
当時の僕のように、「頑張らないといけない」「自分はこうあらねばならない」という考えが強い人ほど、自分の疲れや精神状態の悪化になかなか気づけないのではないかと思います。なので、自分には必要ないといま感じている人にこそ、「こころコンディショナー」のようなサービスをぜひ一度使ってみてほしいですね。
大野:本当にその通りだと思います。内省の習慣がすでにある方よりも、つい頑張り過ぎてしまって自分自身のことを振り返る機会がなかなか持てない方にこそ使ってみていただきたいですね。先ほどの吉本さんのお話にもあったように、人に相談しづらいと感じることもあると思うので、まずは自分で自分の状況を振り返ってみるというワンクッションがあった方がいい。そういったツールとして「こころコンディショナー」は役に立つと考えています。
吉本:僕はずっと自分に自信がないタイプだったので、つい周囲の人や社会の平均と自分自身を比較してしまっていたのですが、自分の考えを振り返る癖をつけることで、自分にとっての比較対象が過去の自分や未来の自分になったのはよい変化でした。「こころコンディショナー」のようなツールを使い続けることで、不用意に他人と自分を比べなくなって、「自分にとってはこれでいいんだよね」と冷静に考えることができるようになるんじゃないかと思います。
大野:ありがとうございます。いまおっしゃった通り、個人や家庭によって基準はさまざまですから、自分自身を振り返り、「自分はこれでいいよね」ときちんと受け止めていただくのはとても大切なことだと思いますね。
今回は大野裕先生と吉本ユータヌキさんに、日々の「モヤモヤ」とうまく向き合う方法について語っていただきました。
記事を読んで「最近心が疲れているから、気持ちを吐き出してみたい」「自分の心に向き合う習慣をつけてみたい」と思われた方は、「こころコンディショナー」をぜひ一度お試しください。
あなたの「こころを整える」力を引き出すお手伝いをします
取材・構成:生湯葉シホ
編集:はてな編集部