書籍等の執筆のほかインターネットTVやラジオなど多様なメディアで活躍されている作家・ジャーナリストの佐々木俊尚さん。60代を迎えてなお精力的に活動されている印象がありますが、30代の頃に発症した脳腫瘍により右耳を失聴、また厚生労働省の指定難病である「潰瘍性大腸炎*1」という大きな病気を経験されています。
キャリアのスタートとなった新聞記者時代は「とにかく忙しいし、健康を気遣うこともなかった」と振り返りますが、現在は毎日のジムとバランスのよい食事や睡眠週間を心がけ、健康に過ごせているそうです。
「病人扱いされるのが嫌で、人にオープンにできなかった時代が変わりつつある」とも感じている佐々木さんに、自身の経験を通して気付いたこと、これからの社会や医療に望むことについて伺いました。
フォーネスライフが提供する疾病リスク予測サービス「フォーネスビジュアス」では、4年以内の心筋梗塞・脳卒中など各種疾病の発症リスク・再発リスクを予測することができ、結果に応じて保健師の資格を持つコンシェルジュが、ご自身に合った生活習慣の改善方法を提案します。
難病の「潰瘍性大腸炎」も寛解期はいたって健康体
── 著書も多く精力的に活動を続けられてきた佐々木さんですが、実は潰瘍性大腸炎という持病が20年来あり、また右耳の聴力にも難があるそうですね。とてもそのように見えないのですが、まずは現在の体の状態について教えていただけますか。
佐々木俊尚さん(以下、佐々木):潰瘍性大腸炎は完治しない病気なので、今も付き合い続けています。とはいえ、この病気は症状が出ている「再燃」の期間と、まったく症状のない「寛解」の期間を繰り返すもので、寛解している期間は健康な人と変わらないんですよ。
病がいつ再燃するかは予測できません。ちょうど今年の春から夏にかけて症状が出ていて、薬を飲んで対処していましたが、それまでは6〜7年の期間があったので、「もう治ったかも」なんて思っていたりもしました。
もう1つは「聴神経腫瘍」による右耳の失聴ですね。こちらは潰瘍性大腸炎よりも前の1998年に発症して手術をしたときから聞こえなくなっていますが、パーティーやイベントのようなにぎやかな場所での会話が難しいくらいで、普段の会話にはそれほど影響はありません。
── 普段は、どのように過ごされていますか。
佐々木:今お話しした2つ以外にも、心臓の
仕事への影響も、現在はフリーということもあってそれほど大きくはないですね。潰瘍性大腸炎が再燃している間だけは下血が続くので、トイレの位置を常に確認したり、席を外すことが増えたりといった小さな不便はあります。
40歳前後で立て続けに起こった2つの病
── 今のお話にも出てきた2つの大きな病気について、あらためて発症当時のことを教えていただけますか。
佐々木:先に発症したのは聴神経腫瘍で、38歳ごろのことです。当時は新聞記者として忙しく働いていて、小渕恵三さん(元首相)が自民党総裁になった日に発症したのを覚えています。党本部での取材中に突然右耳が「ピーン」といって、そこから何も聞こえなくなってしまって……。先輩から「突発性難聴では」と助言をもらい受診したところ、念のためにと撮ったMRIで「耳の神経を圧迫する脳腫瘍ができている」ことが分かりました。放っておくと脳幹に至り、脊髄にも影響するかもしれない。すぐに腫瘍切除の手術を受けました。耳は聞こえなくなってしまったのですが、腫瘍は良性のもので、術後の経過自体は良好でした。
── 社会部の記者ということで、とても忙しくされていたのではと思います。
佐々木:そうですね。新聞記者と聞いて浮かんでくるイメージそのままのような生活ぶりでした。特に警視庁の担当をしていた頃は、地下鉄サリン事件など大きな事件を扱うことも多かったです。「夜討ち朝駆け」といって、深夜や早朝に関係者の自宅へ行って取材する日々で、睡眠も不規則でした。食生活もこだわってはいられないし、深夜に会社へ戻ってきてから焼肉を食べに行って……と、めちゃくちゃで(笑)。体重も今より10キロくらい重かったと思います。
そんな中で腫瘍を患い、復帰したのは都内版(東京都内のローカルニュースを扱う地域面)という、元いた部署よりもゆるやかなところでした。また大きな事件を取材したいという気持ちもなくはなかったけれど、このままキャリアを積んでも待っているのは管理職。現場に長くはいられないことに気付き、タイミングよく声をかけてくれた知人の誘いにのってIT系出版社のアスキーへ移籍しました。
── 潰瘍性大腸炎を発症されたのはその後のことですね。
佐々木:はい。アスキーに移って2年目だったかと思います。突然トイレで下血して……。「痔だ」と思って肛門科を受診しましたが、「これは違います」と総合病院の受診をすすめられました。そこで聴神経腫瘍でお世話になった病院を受診し、診断を受けました。僕は手術が必要なほど重症になったことはないのですが、再燃期間はだいたい数カ月続くので、その期間は薬が欠かせません。
── 数年の間に2つの大病を経験されて、気持ちが参ってしまうことはありませんでしたか。
佐々木:病気そのもののわずらわしさもありますが、それと同時に「自分が病人である」というレッテルを貼られるのがつらいときはありますね。
例えば、目が突然充血することがあります。僕の場合は潰瘍性大腸炎の症状の1つであることが多く、ステロイドの点眼薬を使っていればおさまるのですが、会う人に「目が赤いよ!大丈夫?」と心配されてしまう。心配されたり、気を遣わせたりするのもイヤだし、食事の席などで「病人なんだからこんなの食べてちゃダメだよ」と“患者扱い”をされるのもイヤなんですよね。
── そんな中でも、前向きな気持ちでいられるコツはありますか。
佐々木:おそらく人より病気の経験が多い分、自分の健康に対する感度は高いんです。食事や睡眠、運動もしっかりと気を遣って取り組んでいるし、たぶん「病気はしていないけど、なんだか不調」な人よりずっと健康なんですよ。病気をしていなかったら、今でも新聞社に勤めていて、出っ張ったお腹を抱えながら部下を叱っていたかもしれません(笑)。
大病をしたことを「よかった」と言い切ってはいけないのかもしれませんが、僕は病気を経験したことで健康に気を遣うようになったし、自分の体をある程度コントロールできるようになったと感じています。
大病を経たからこそ、自分の体を気遣うように
── 病気を経て、ご自身の考え方などで変化したところはありますか。
佐々木:得たものが2つあります。1つは「医療機関へのハードルが下がった」こと。気になることがあればすぐにかかりつけのクリニックへ行く習慣ができましたね。
それから、どんな病院がいいのかを考えていく中でたどり着いた自分なりの基準があるんです。よく、医療機関の口コミなどがありますよね。でも実際に見てみると「受付の人が冷たい」とか「先生が親身に話を聞いてくれる」といった内容で、その医師の技術や知識についてはあまり言及されていないんです。
では、どこで先生の腕を確かめればよいのか。以前、筑波大学の先生と潰瘍性大腸炎についての対談をした中で出てきたのが「医学者」というワードでした。いわゆる「医者」との違いは、常に最新の研究をキャッチアップし、知識や腕を磨き続けているところです。
もちろん、町で開業しているお医者さんの中にもそんな人がいるかもしれません。その医師が自分の専門性を磨き、アップデートし続けているかは、1つの判断基準になると感じています。受診しようかと思うクリニックでも、まずは院長のプロフィールや以前の勤務先などを見て判断材料にしています。
── 正しい情報を手にするために気をつけていることはありますか。
佐々木:インターネットは活用しますが、医療機関か厚生労働省が出している情報を信用するようにしています。病気になるとあれこれ検索して偶然出てきた治療法にすがってしまう人もいますが、アプローチすべきなのは「標準治療」だと思っています。
── 確かに、医療は日々進歩していますしね。
佐々木:それから、もう1つ変わったのはやっぱり「体に気を遣うようになった」ことです。大病をした分、他の部分はできるだけレベルアップさせて健康であり続けたいと思うようになりました。健康状態の把握のために、人間ドックは定期的に受けています。
少しでも不調を感じたら受診する、というところからもつながりますが、自分の体が発するサインに気付きやすくなったと思います。特に睡眠不足は顕著で、夜少しでも眠るのが遅いと、昼間に眠気が襲ってくるんですよ。在宅中なら少し昼寝をしたり、少し横になって休んだりして休息をとるようになりました。
60歳になる時には、大きな節目だから身体のメンテナンスをしようと決めて、白内障の手術と、ケロイドになっていた過去のケガの痕を治療しました。
人間もクルマなどと同じで、長く生きているとどうしてもどこかしらにガタがきます。なるべく丁寧にメンテナンスして、長く元気でいられたらなと思いますね。パーツ交換もできたらうれしいんだけど(笑)。
病とともに生きる人は、これからもっと増える
── 急速に高齢化が進む中で、健康への関心も高まっています。私たちはどのように健康や病気と向き合うのがよいと思われますか。
佐々木:年齢とともに、劣化していくところは必ずあります。「疲れやすいなら体力をつける」のような対処法では太刀打ちできない、避けようのない変化ですね。
僕の場合は、もともとお酒はよく飲む方でしたが、この10年くらいで飲める量が減りました。これを「若い頃のように飲めなくなった」と嘆くこともできますが、捉え方を変えて「飲まなくてもよくなった」と考えてみると、生活がポジティブに変化し始めるんですよ。飲む量が減ったなら飲み歩きもしない、深酒もしない。寝る時間も早くなって、健康なサイクルに入っていくことができます。
加齢によって体に起こる変化を単純な「劣化」ととらえるか、新しい生活サイクルへの「変化」ととらえるか。この2つの違いを知っているだけで、自分の健康と向き合うときの気持ちのありかたが変わるのではと思いますし、幸福感も変わるはずですよ。
── 社会全体の健康に対する考え方そのものも変化していますよね。
佐々木:昔は、健康に気を遣うのが「ダサい」みたいな風潮もありましたよね。「24時間働けますか」なんてキャッチコピーもありましたが、とにかく仕事に打ち込んで身を粉にして……というのが昭和の象徴として根付いていました。それが徐々に変わり始め、2008年のリーマン・ショックや2011年の東日本大震災などが大きな転機になったと思います。
── 人の価値観が大きく変化する出来事でしたね。仕事やお金だけではなく、家族や友人との時間を大切にしたいという気持ちが強くなった気がします。
佐々木:食事をするにしても、高級なところもいいけれど「気のおけない友人と集まってクラフトビールで乾杯」も好き!というような価値観が急速に広まったと思います。大切な人たちと長く元気に過ごしたい、という人も、以前より増えているのではないでしょうか。
僕は「幸せ」というのは「持続すること」だと感じているんです。お金を得たから幸せ、家を建てたから幸せ、なのではなく、家族と一緒に食事をとるとか、心穏やかに過ごせるとか、そういう日々が続いていくことが「幸せ」につながっていくんだろうなって。
── 社会全体としても、人々の健康を支えていく動きが必要になってくると思います。
佐々木:病があっても自分らしい働き方を選択できることを目指す「ワークシックバランス」という、ヤンセンファーマのキャンペーンから生まれた言葉があります*2。厚生労働省の調査によると、国内で働いている人の実に3人に1人が何らかの病気を抱えているのだそうです*3。これから定年も遅くなりますし、この数字は増えていくでしょう。誰もが何かしらの病気を持っている可能性があるんですよね。
病気を持っていることをオープンにしやすい環境が整うといいなと思いますが、どうしても病気のことを「恥ずかしい」「説明するのがおっくう」と感じてしまう人もいます。僕の潰瘍性大腸炎も、人に話すと「飲み過ぎだからでは」と言われることがあるくらいです。
全ての病気にスポットライトを当てるのはとても難しいことかもしれませんが、知ってほしいと伝えること、知ろうとする社会であってほしいなと思います。
── このlala a liveはヘルスケアサービスを提供するフォーネスライフ株式会社が運営していますが、医療ベンチャーやヘルステックのスタートアップに期待することがあれば教えてください。
佐々木:「医学」といかに二人三脚になれるかだと思います。新しいビジネスをやろうとすると「ニセ科学」みたいなところに走ってしまうリスクもあるので、しっかりと医療とのつながりを意識した効果的な事業を展開できるか。一方で、大学発の医療ベンチャーなども増えているし、これまでは大手製薬会社のものと思われていた創薬もベンチャーに期待がかかる部分は増えていくと思います。ここに注目して投資する人も増えているので、市場は拡大していくはず。医療と社会をつなぐ“橋”の役割を期待しています。
取材・構成:藤堂真衣
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部
難病や大病を経験しながらも、その経験から自分の身体を気遣う生活スタイルへと変化できたと語る佐々木さん。60歳を超えて、加齢による変化を受け入れながら過ごす日々について語っていただきました。
誰もが何らかの疾患にかかるリスクを抱えている時代に、生活習慣に起因する慢性疾患の発症リスクを知っておくことは、健やかで幸せな生活を続けるためにも大切なことかもしれません。
「フォーネスビジュアス」では、ご自身の“今”と“将来”の健康状態、疾病リスクを分かりやすく可視化し、保健師の資格を持つコンシェルジュから食生活も含めた生活習慣改善のためのアドバイスを受けることができます。
*1:参考:難病情報センター「潰瘍性大腸炎(指定難病97)」
*2:参考:「ヤンセン、「仕事と病の両立」実態調査で8割以上が「ワークシックバランス」の重要性に共感したことを発表」
*3:参考:厚生労働省「中央社会保険医療協議会 総会 第413回議事録」およびその議事次第より「年代別・世代別の課題(その2)について」の資料(PDF)など