76歳の新人芸人・おばあちゃんが、病気や介護を経て感じた「老後も元気であり続けるために大切なこと」

芸人・おばあちゃんさん

「老後をいかに健康に過ごすか」は、高齢化が進む現代において、多くの人が抱える課題といえるでしょう。年齢を重ねるにつれ体の不調と向き合う場面は増え、さらには「認知症になったらどうしよう」という不安なども強まりがちです。

今回お話を伺ったのは、70代でNSC(吉本総合芸能学院)に入学し、お笑い芸人としてデビューしたおばあちゃんさん。「高齢者あるある」を表現したシルバー川柳などのネタで人気を集め、若手芸人が多く出演するお笑いライブでも独自の存在感を放ち続けています。

70代の新人芸人として活躍するおばあちゃんさんですが、実は30代の時に乳がんを経験。さらには認知症を患った兄を介護するなど、芸人としてデビューする以前から、自身や家族の健康に関して多くの困難に向き合ってきました。

今回はそんなおばあちゃんさんに、高齢になっても健康でやりたいことを続けるために意識されていることや、家族の認知症と向き合う上で大切にしていることなどについて、お話を伺いました。

フォーネスライフが提供する疾病リスク予測サービス「フォーネスビジュアス」では、20年・5年以内(※5年以内は65歳以上が対象)の認知症をはじめとした各種疾病の発症リスクを予測することができます。さらには結果に応じて、コンシェルジュ(保健師)が、ご自身に合った生活習慣改善方法をご提案します。

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おばあちゃん
おばあちゃん

1947年生まれ。38歳の時に乳がんを発症し、45歳の時に子宮への転移を経験。その後47歳で放送大学教育学部に入学し、「乳がん手術経験者の症状と下着について」というテーマで研究発表を行う。2018年に71歳でNSC吉本総合学院東京校に入学し、翌2019年に芸人としてデビュー。芸人として活躍しながら、難病を患った兄の介護も続けている。

「学ぶことへの憧れ」と「乳がんの経験」から、47歳で大学へ

──おばあちゃんは、38歳のときに乳がんに罹患されたと伺っています。それまではずっと健康そのもので、風邪ひとつ引いたことがなかったそうですね。

おばあちゃんさん(以下、おばあちゃん):乳がんになった時は、人生、本当に何が起きるか分からないなと思いましたね。今振り返れば、胸がピリピリするとか食べたくなるものの傾向がガラッと変わっただとか、予兆のようなものはあったのですが、当時はまさか自分ががんになるなんて、という気持ちでした。

手術で胸を全摘出したのですが、術後に腕が上がらなくなってしまって。腕を上げられるようにするためのリハビリは、手術以上に辛い経験でした。始めは洗濯物を干すことさえも難しくて。当時は会社員としてフルタイムで働いていたので、平日どうにかがんばって働き、週末には温泉に行って体を温めて体を癒やす、という生活を数年続けました。

──ご病気を経て、健康への意識は変わりましたか?

おばあちゃん:大きく変わりましたね。その後、がんが子宮に転移して5年くらい入退院を繰り返していたんですが、がんを経てからはとにかくこまめに体を動かしたり、刺激物をあまり食べないよう注意したりするようになりました。

──その後、47歳のときに放送大学に入学されていますが、大学では乳がんについて研究されていたそうですね。

おばあちゃん:胸の摘出後に人工乳房を付けるようになったのですが、これが揺れてずれると痛みが出たり、汗をかくことで嫌なにおいが出たりするんですよ。乳がん経験者の方の中にはきっとそれで悩んでいる方が他にもいるだろうなと思って。そういった方たちのためにも乳がんの術後について研究したいという思いで大学に入り、「乳がん手術経験者の症状と下着について」というテーマで卒論を書いて卒業しました。

芸人・おばあちゃんさん

──働きながら大学の勉強を続けるのは、大変ではありませんでしたか?

おばあちゃん:子どもの頃から「いつか大学に行きたい」と思っていたんです。当時は今と違って「女の子は勉強しなくていい」と言われてしまうような時代で、学ぶことへの憧れがありました。
それに、中学を卒業して図面関係の会社で働き始めてからずっと、仕事に生かすためにCADやワープロを勉強したり、和裁や洋裁の学校に通ったり、着付けや編み物の教室に通って師範資格を取ったり、といったことは絶えずしていましたので「大変」とは思わなかったですね。若い時から化粧品も買わずにお金を貯め続けて、高校と短大になんとか入り、ようやく大学に行けたのが、リハビリも落ち着いたその頃だったんです。

──素晴らしいですね、それほどいろいろな勉強を日頃からされていたなんて……。

おばあちゃん:決して勉強が得意なわけではないんですが、とにかく「やりたい」という意欲が突っ走ってしまって。私たちの世代だと、同じように苦労している方はたくさんいらっしゃると思います。

「私が握っていると点滴に見えるかもしれませんが、マイクです」

──いつかお笑いの舞台に立ちたいという夢も、昔から持っていたのでしょうか?

おばあちゃん:ええ、子どもの頃に見た中田ダイマル・ラケット*1さんの漫才が忘れられなくて。テンポのよい会話で大勢のお客さんが笑っているのを見たときに、道具なんて何ひとつ持っていなくても人を笑わせることができるなんて、「芸人っていいな」と憧れたんです。それで学生時代にもよく友達を笑わせたりはしていたんですが……。まさか自分が吉本に行くだなんて、その頃は夢にも思っていませんでした。

──ではNSC(吉本総合芸能学院)に入学されたのは、どういったきっかけだったんでしょう。

おばあちゃん:会社には64歳まで勤めていたんですが、膝を悪くして退職したんです。でも、これだけで終わるのはちょっとつまらないなと思って、膝のリハビリを経てある高齢者劇団に参加させてもらいました。その時、演技についての基礎を学びたいと思って周りに相談したところ、友人の一人から教えてもらったのがNSCの電話番号だったんです。もう70歳になっていたので、電話して「70でも大丈夫ですか?」と聞いたら「大丈夫です」と。当時たいていの養成所は25歳くらいまでしか入学できなかったので、50歳近くオーバーしてるけどいいのかなとは思ったんですが(笑)、無事に入学できました。

──卒業後は吉本興業に所属されました。2023年の夏にはネタバトルを勝ち上がり、神保町よしもと漫才劇場*2の所属メンバーになられたことも話題になっていました。

おばあちゃん:NSC卒業後、事務所の方が「やってみなよ」と応援してくださったこともあって、芸人の世界に飛び込んでみる気になったんです。でも実は、ネタバトルについてはいまだによく仕組みが分かっていないんですよ(笑)。いつも舞台が終わったら早めに家に帰らせてもらっているので、自分が勝ち抜いたというのも、後日周りの芸人仲間に言われてやっと知ったほど。みなさんに祝っていただいてありがたかったんですけどね。

──ふだん、ネタはどのように考えているんですか?

おばあちゃん:「予約した病院で3時間待たされたのに、実際に診察するのはたった30秒」といった日常の出来事などを、シルバー川柳としてネタにすることが多いです。以前、舞台に出ていってスタンドマイクの高さを調整するときに、「私が握っていると点滴に見えるかもしれませんが、マイクです」とアドリブで言ったらお客さんにすごく笑っていただけたので、今では鉄板ネタになっています。

──しゅんしゅんクリニックPさんとのコンビ「医者とおばあちゃん」で披露されているネタも面白いです。

おばあちゃん:通院の時に感じたお医者さんへの愚痴のようなものを、しゅんPさんがうまくネタにしてくれるんです。ネタ合わせは舞台の直前だったりするんですけど、しゅんPさんが引っ張ってくださるので安心しています。



自分が楽しいことをやって、よく食べ、よく動く

──お話を伺っていると、おばあちゃんは本当にアクティブですよね。年齢を重ねてもさまざまなことにチャレンジできる原動力はどこにあるのでしょう?

おばあちゃん:楽しいからです。会社に勤めながら学校に通ったりするのはもちろん大変で苦しい部分もあるのですが、自分がやりたいことをやっているので、楽しさが勝つんです。

それに、若い方々とお話しできるのも本当にうれしいことです。職場の場合は上下関係や利害関係が絡んでくるけれど、お笑いの現場では若い方といろんなことを本音で話せますし、新しいこともたくさん教えていただけるんですよ。ついこの前も、「指ハート」のやり方を教えてもらったところです(笑)。

取材時、覚えたばかりだという「指ハート」を披露してくれました

──おばあちゃんにとって、高齢になっても、長く元気でいるための秘訣(ひけつ)は何でしょうか。

おばあちゃんよく食べることとよく動くことでしょうか。私、歳のわりにはよく食べるみたいなんです。この前、若い芸人さんとピザの食べ放題に行ったんですが、私が一番たくさん食べたので、皆にびっくりされました(笑)。

運動も大事ですね。会社を辞めてからは毎日6時25分までには起きて、テレビ体操をするのを習慣にしています。最近はありがたいことに芸人の仕事が忙しくてあまりできていないですが、青竹踏みなどをすることもあります。忙しくても、1日のうちに20分くらいは欠かさずに運動するようにしています。

家族の認知症と向き合うには「変化に気付くこと」「よく話すこと」が大事

──おばあちゃんは、目の病気と認知症を患っておられるお兄さまの介護もされているそうですね。お兄さまの認知症の症状に気付かれたきっかけについてお聞きできますか。

おばあちゃん:兄は小学生の時に「トラコーマ*3」という目の病気にかかりました。これまで、兄が病院で目を診ていただくときには私も必ず付き添っていたのですが、吉本に入った当時はとても忙しくて、兄の付き添いが少し疎かになってしまっていたんです。ちょうどその時に兄の目が悪化してしまい、慌てて新しい病院を探して手術していただいたんですが、片目が見えなくなってしまって。

認知症の兆候に気付いたきっかけは、NSCの卒業公演に来てくれた兄が、汚れた服と汚れた靴を身に着けていたことでした。兄はおしゃれな人だったのでどうもおかしいと思って注意深く見ていたら、それ以来、夜中にトイレに行ったきり帰ってこられないとか、見えない方の目の血管の赤みを「火事だ」と勘違いして大騒ぎしたりするようなことが続きまして。

幸い、兄の学生時代からの親友も兄の変化に気づいて、私に連絡してくださったんです。それからいろいろな病院を渡り歩く生活が数年続き、認知症だと正式に診断されたのは去年でした。

芸人・おばあちゃんさん

──とても注意深くお兄さまの様子を見られていたのですね。家族の健康上の異変に早く気付くポイントはどこにあると思いますか?

おばあちゃん:やはり、できるだけ接触することだと思います。私の場合は母が亡くなって以来、毎晩兄に電話するようにしています。今は良い施設が見つかったので兄はそちらで生活しているんですが、認知症の進行を遅らせるには「人としゃべること」が大切なので、電話するたびに「今日はご飯は食べた?」「おいしかった?」「メニューは何だった?」といろいろ聞くようにしていますね。

兄から答えが返ってこなくてもいいし、とんちんかんなことを言っていてもいいんです。ただ話を聞いて、ちょっとした笑いも交えた会話ができたら、安心して電話を切るようにしています。

そういった接し方については、家の近所の地域包括支援センターに行った際に、認知症についての講座の中で教えていただいたんですよ。

──地域包括支援センターにも行かれているんですか。

おばあちゃん:将来の自分たち夫婦の老後に備えておこうと思って、兄に介護が必要になる前から、時間があるたびに行くようにしていたんです。10年くらいは通っているかもしれませんね。

以前から兄にも、「何かあったとき私もすぐには駆けつけられないから、地域包括支援センターや趣味の仲間たちとのつながりはいつも持っておいてね」と強く言っていたんです。そうしたら兄は実際に地域包括支援センターに足を運んでくれていたようで、センターの方も兄のことをよく知っていてくれました。

兄には、一人で暮らしていてもあなたは一人じゃないんだよ、ちょっとでも変わったことがあったらいつでも私や周りの人に連絡してほしいと伝えています。

──地域の方や施設の方、お友達とのつながりがあると、離れて暮らしている家族の場合も安心できそうですね。

おばあちゃん:そう思います。現役で働いている方は、会社を退職してからいろいろなところに行って仲間を増やそうとついつい考えてしまうと思うのですが、つながりは会社をやめる前から作っておいた方がいいですよ。私は夫にも再三そう伝えていたのですが、夫が肺がんを患ってあまり動けなくなってから、昔の釣り仲間が飲み会に誘ってくれたりしているみたいです。

高齢になったら、不調があるのは当たり前。定期的なチェックで備えておく

──認知症は、早期に気付くことができれば、進行を遅らせられる可能性があるといわれています。フォーネスライフが提供している「フォーネスビジュアス」では、認知症などの疾病リスクを発症前に予測することができます。こういったサービスで未来の病気に備えることについては、どのように感じられますか?

おばあちゃん:やはり高齢者にとっては体が動かなくなることが一番怖いですし、その結果人に頼らないと生活できなくなってしまうのは、当人にとっても周囲にとっても辛いことだと思います。ですから、病気の可能性をあらかじめ知って対策することができるのはよいことですよね。いずれそういったサービスがもっと普及して、保険適用になればなおうれしいなと思います。

私は認知症に限らずいろいろな病気に備えたいと考えているので、日頃から、ちょっとでも体調がおかしいなと思ったらすぐに病院に行くようにしているんですよ。月に1回は必ず歯科と眼科に行きますし、リハビリのために整形外科にも行きます。やっぱり年を重ねても、まだまだ元気に動きたいじゃないですか。

芸人・おばあちゃんさん

──定期的に通院されているのは、本当に素晴らしい心がけですね。

おばあちゃん:中には、自分が年を取って体の自由がきかなくなっていくことを認めたくなくて病院に行かない方もいるかもしれませんが、高齢になったら不調があるのは当たり前ですからね。目も衰えてくるし、耳も遠くなるし、歯もボロボロになるし、動きも鈍くなる。でもしょうがないんです、みんなそうなんですから。恥ずかしいことでもなんでもないんです。私なんて、劇場に行くとたいてい若い方が椅子を持ってきてくれるので、「ありがとうね」と素直に言って真っ先に座るようにしていますよ。

最近は劇場に来てくれるお客さんや動画の視聴者さんなども「おばあちゃんは働き過ぎないで、ずっと元気でいてほしい」とよく言ってくださるんです。でも私はそんなふうに日々生活していますから、たぶん長生きするんじゃないでしょうか(笑)。


今回はおばあちゃんさんに、高齢になっても健康に過ごすためのヒントや、家族の認知症と向き合う上でのポイントなどをお聞きしました。

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下記の記事では、フォーネスビジュアスのサービス内容について、フォーネスライフ社の社長が詳しく語っています。ぜひこちらもご覧ください。

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取材・構成:生湯葉シホ
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部

*1:昭和期に大阪を中心に活躍した漫才師。参考:大阪府立上方演芸資料館 ワッハ上方 | 中田ダイマル・中田ラケット

*2:吉本興業が運営する東京・神保町にある劇場。芸歴9年目以下の若手芸人が出演している。参考:神保町よしもと漫才劇場

*3:クラミジア・トラコマティスという偏性細胞内寄生微生物によって引き起こされる目の感染症。参考:FORTH|最新ニュース|2017年|トラコーマについて (ファクトシート)