「22時に寝る」を徹底して睡眠中心の生活に変えたら、良いことずくめだった

多摩動物公園にて、筆者が撮影した動物の寝顔
多摩動物公園にて、筆者が撮影した動物の寝顔

人が生きていく上で不可欠な睡眠。しかし仕事や家事の忙しさから、短時間睡眠で成果を上げる人たちに憧れた経験を持っている人も少なくないのではないでしょうか。

ブロガーのココロ社さんもそんな一人。しかし、10年ほど前に短時間睡眠は向いていないと諦め、自分が満足いくまで「寝たいだけ寝る」ことにしてから、自分に合った健康的な生活を送れているといいます。

ココロ社さんはどのように日々の睡眠と向き合っているのか。睡眠時間を確保するための工夫から昼寝の取り入れ方まで、ご執筆いただきました。

短時間睡眠への憧れはあったが、自分には向いてなかった

気が付いたら50歳を超えていた。30代の頃から、諸先輩方には「心は若いつもりでも、50を超えると体にガタがくるよ」との予告を頂戴していて、確かに最近は若い頃のように階段を2段ずつ上ったりはできなくなってきた。

とはいえ、これまで大病を患った経験はなく、体調を崩すこともそう多くない。あらためて自分は何か健康のために気を付けていたことはあったっけ? と考えてみると、睡眠だけはそれなりに意識してきたことに思い至った。もう10年以上、22時には布団に入り、充分な睡眠時間を確保することを優先してきたのだ。

一般的に睡眠の話題になると、「短時間睡眠でも成果を上げる方法」のような話の方が好まれる印象がある。1日3時間しか寝ていないという成功者の話もよく聞くし、そういういわゆる「ショートスリーパー」に憧れた経験を持つ人は多いのではないかと思う。

わたしも、あるとき「もしかして自分には1日3時間睡眠が合っていて、その真実に今まで気付かず、余分に寝ていただけなのかもしれない」という謎の期待感が発生し、試しに週末に3時間睡眠で活動してみたこともあった。ただ、圧倒的につらく、長続きしなかった。

もう寝たいだけ寝よう。やりたいことがあるのなら、その分起きている時間のパフォーマンスを上げた方が自分には合っている。そう思うことにしてから、自分なりに睡眠の質を上げるための努力をし、仕事が忙しいときでも、7時間前後は睡眠時間を確保するよう努めてきた。もっと短時間でも平気という人も多いかもしれないが、これ以上減らそうとは思っていない。睡眠中心の生活を送るようになってから、なんだか調子が良いからだ。

そこで今回は、決して暇ではないサラリーマンであるわたしが、充分な睡眠を得るためにしてきた工夫について共有したい。読んでいただいた方には、たくさん寝ることは残念なことでも恥ずかしいことでもないと思っていただければ幸甚である。

ホテルで安眠中の筆者
ホテルで安眠中の筆者。布団にピントを合わせているのは筆者の配慮である

仕事終わりにダラダラする生活を改め、睡眠中心の暮らしへ

振り返ってみると、よく寝てきた人生だった。両親もよく寝る人たちで、休みの日は必ず1時間の昼寝を家族全員でしていたし、その分夜が遅いかというと……むしろ早かった。純粋に睡眠時間が長い家で、他の家もそういうものだと思っていた。

家族がそれぞれ別の部屋で過ごすようになっても、それぞれたくさん寝ていた。受験勉強をしているときでも、必ず昼ごはんのあとは昼寝。昼寝のあとは気分がすっきりしたし、午前中にやったことが頭の中で整理されていたような気がして、成績も悪くはなかった。

そんな生活を送っていたから、就職活動のときも3時間睡眠が前提とされるような業界はなるべく避けた。往々にして、そうした長時間労働が当たり前に求められる業界の方が給料も良かったが、わたしにとっては「よく寝られること」の方が重要だったので、ほどほどに給料がもらえてほどほどに忙しい会社に就職することにした。

しかし、それでも忙しくて帰りが遅くなる日はあるし、学生時代に比べると自由に使える時間は短くなっていった。それなのに、当時はインターネット上のコンテンツの量が年々増え、情報発信の手段も整ってきた頃。帰宅後の限られた時間でダラダラと深夜までネット閲覧をしたり、ブログを書いたりするようになり、いつしか日付が変わってから寝るようになってしまっていた。

なりゆきで就寝時間は1時や2時になったが、会社に遅刻するわけにはいかないので、寝る時間に関係なく7時に起きざるをえなかった。深夜まで仕事をしているわけではなかったが、睡眠時間が充分に取れないという意味において、これでは忌み嫌っていた「日付が変わるまで仕事」のようなものではないか……。

無論、その暮らしで問題ない人もいるだろうが、うっすら眠い生活はわたしのよしとするところではない。うっすら眠いとうっすら不機嫌になりやすいという点だけでも内外に対して迷惑であるのに加えて、何事についても自分が本気を出せないことの言い訳として、「眠かったから仕方ない」などと思いがちだったことも問題だった。少なくとも「眠かったから」と言い訳をするなら、寝ることでしか解決しないのである。当たり前過ぎるその真理に気付くのが遅れたこともまた、眠かったからなのかもしれない。

自分の中で睡眠革命のようなものを起こす必要を感じ、10年ほど前に革命のラッパが脳内で鳴り、それはわたしの脳内で今もこだましているのであった。

「22時に寝る」を守るための方法

業務改善がそうであるのと同様、暮らしを見直すときにしてはいけないのは、「心を入れ替えてちゃんとする」と、自分の意識だけに頼って変化を起こそうとすることであると思う。実際に、そう思うだけで心が入れ替わることはない。本当に入れ替わったら記憶喪失である。

そこでわたしは、「22時に寝る」と法律のように決め、翌朝は5時に起きる生活を実行することにした。そのために、まずはよく連絡を取る人に「22時に寝るから、それ以降は返事が遅れるかも」などと宣言した。そうすることにより、22時以降に活動した痕跡を見せるのが恥ずかしいという気持ちになるため、自動的に早く寝られるようになるのだ。寝るくらいしかすることがない状態に追い込んだのである。

さらに、相手が誰であっても、寝る時間を聞かれた際には恥ずかしげもなく「22時」と答えることにより、「この人は早く寝る人である」と周囲に知ってもらうようにした。天気の話ほどではないが、あたりさわりのない会話の中で、「昨日、寝たのは何時か」という話は出てくる。そこで「22時」と言うと小学生みたいと笑われるのだが、そう答えることにより、仕事関係の人もそうでない人も、早く寝る人として扱ってくれるのである。

それでも寝る前に心残りがある場合は、「22時時点で、どうしてもやり残したことがある場合は横になりながらする」と決めて実行した。メールの返事を座ってする必要なんてもともとないし、動画の閲覧などはなおさらである。そして横になっていると、まあ今すぐやることではないし朝やればいいか、という気分になるので、やり残しがあったときも30分以内で解決することが多かった。まずは22時に必ず布団に入ることが重要なのだ。

そして、徹底して寝たいときはスマートフォンの電源を切って寝室とは別のところに置いている。スマートフォンをベッドからお手洗いの導線上には置かないようにすれば、「お手洗いで起きたついでにネット閲覧」という自堕落な流れも予防できる。

ただ、別に自堕落でもよいかなと心に余裕があるときには、起きてそのままスマートフォンでSNSなどを見ることもある。見ないようにしようと考えるとかえって気になってしまうので、逆に「心底うんざりするまで見る」と決めて見ているのだ。

このような無駄が発生することも想定しての22時である。「同じ7時間睡眠なのであれば、そんなに早い時間にせずに24時に寝て7時に起きればいいじゃないか」と思う人もいるかもしれないが、自分の場合それは良くないのだ。

24時就寝だと眠れなかったときのバッファが0なので危険だし、入眠の際も「眠れなかったらどうしよう」と考えてしまう。その点、22時なら「変な時間に起きても眠くなるまでぐうたらしていよう」と思えるから心のゆとりができるし、仮に途中で起きて目が冴えてしまって2時間ぐらいはぐうたらしても、7時には起きることができるという算段である。

「22時に寝る」ことでのメリット

このようにして実現した「22時就寝体制」は、想定よりもよい効果をわたしにもたらした。

まず、当たり前のことだが、きっちりと睡眠時間を確保したことにより、ぼんやりとした意識で仕事をする必要がなくなり、仕事の効率が上がった。加えて、朝には夜の残業時間帯のように「仕事の相談に見せかけて愚痴を吐く人」がいないから、その点でも集中できる。愚痴を吐く人が活躍する時間帯にはすでに帰宅して夢の中にいるという寸法である。

また、思わぬ効果として、無駄遣いが減ったというのもある。深夜にダラダラとネットショッピングをして、なんとなく安いからという理由でアンティークの食器を買ったり、自分のライフスタイルには合っていないが柄がかわいらしい感じのトートバッグを買ったりすることがなくなった(これらは今、押し入れですやすやと眠っている)。わたしの経験上、朝にインターネットをしていて謎アイテムを購入することはそうないので、こういった無駄遣いは深夜特有のものだったのかもしれない。

買い物だけではない。コンテンツの消費も同じことである。24時などに妙なテンションで発されたコメントをリアルタイムで見る必要性はないし、それらを同時間帯に見ると刺激を受け過ぎてしまう。あまり人が活動していない時間帯に前日のまとめとしてコンテンツを見る方が効率がよかったし、自分自身の不要な発言も減った。

睡眠の質を上げるために、あえて「測定しない」

寝られる時間を増やすだけではなく、良質な睡眠を取るための工夫もしてきた。ときどき、寝る前よりも起きたときの方が疲れたような状態になることがあったのだが、それをなんとかしたかったのである。

まず一つは、掛け布団をなくし、抱きまくらを導入した。掛け布団を蹴飛ばした状態で目覚めることがよくあり、自分の場合は掛け布団がかえって寝心地の悪さにつながっていると考えたのだ。その代わりに抱きまくらを導入したところ、寝るときの姿勢と起きたときの姿勢が大体同じで、寝相がよくなっているようである。

抱きまくら
抱かれるために生まれてきた存在、それが抱きまくら

また、「体を温めた方がよく眠れる」という話をよく聞いたので、夏も冬も少し暑いかもと思えるくらいの環境になるようエアコンと寝間着で調節している。どの程度効果があるのかは分からないが、自分の場合は調子がいいような気がする。それに、朝起きたときに寒いというのは、睡眠の質の話を脇においても、一日のスタートとしてあまりふさわしくないような気がして避けている。

そして、自分にとってもうひとつ重要なのは「寝られたかどうか細かく気にしない」ことである。上記を読むと、わたしが毎日十分な深さの睡眠をしているように読めるかもしれない。わたしもずっとそう信じていた。しかし、あるとき自分がどれだけ充実した睡眠ライフを送っているか知りたいと思い、睡眠の深さを測るアプリを使ってみたら、3日連続で眠りが深くない旨の診断結果が出たことがあったのである……。

50年以上わたしはうっすら眠り続けていたのかもしれないと思い、ショックを受けた。ただ、自分としては日中に眠た過ぎて困るようなことはないし、睡眠の質について深く考え込むのは逆効果の気がしたので、アプリはアンインストールした。よく寝たかどうかの検証はしない方が、自分にとっては健康的なのである。

昼寝OKの場所をリストアップしておく

ここまでもっぱら夜の睡眠について語ってきたが、昼寝についてもお話ししたい。

わたしにとって昼寝は、朝の集中力をもう一度得ることのできる魔法である。特別、眠気が強いときだけでなく、習慣的に昼寝をするようにしている。たとえ忙しいときでも、短時間でも寝ることにより、ごちゃごちゃした頭の中を整理しているのだ。それに、アクシデントによって夜更かしが発生してしまったときは、「最悪、昼ごはんを抜けば昼休みに寝通せる」と考えて気を楽にしている。

ただ、在宅勤務のときはベッドで寝ればいいが、外出時に昼寝の時間を確保するのはそう簡単ではない。以前、わたしの中で最も昼寝欲が高まっていたときは、会社の近くに昼寝用のアパートを借りていたが、さすがにお金をかけ過ぎだと思ったので4年ほどしか続けなかった。

今は、勤務先の近くで寝ても大丈夫な場所で昼寝をしている。大きな公園であれば、木陰でそのまま横になっている。昼休みから戻ってきたとき、服に土や枯れ草が付いているのを指摘されることを除けば最高だ。

小さな公園であれば、ベンチを専有するわけにはいかないので、ベンチ以外で腰掛けられるところを探して座って寝る。「迷惑になるかもしれない」という意識は睡眠の邪魔になるので、迷惑にならない場所や姿勢で寝るようにしている。

また、あまりにも勤務先に近いと知っている人に見つかる可能性もあるので、ある程度距離のあるところでするようにしている。距離があった方が、起きてから仕事に戻るまでに覚醒できてちょうどよい。

公園
遊具の少ない公園でレンガの上に腰掛けて寝るなどすれば(おそらく)誰にも迷惑をかけずに昼寝できる

また、移動に使う電車を活用するのもポイントだ。わたしは、どこかに出かけるときに、あえて各駅停車を選ぶことにより、昼寝の時間を確保している。「目的地に早く着くためにどの電車に乗るか」ではなく、「お出かけの途中でまとまった昼寝ができるのはどの電車か」という観点で考えるのだ。そうすることで、目的地に着いたときに気分がすっきりしていて、その後の活動もはかどる。

こうして平日でも昼寝をしているのだから、休日になるとやりたい放題で、「2~3時間読書して1時間睡眠」のセットを3回繰り返したりしているが、ぶっ続けで読書をするより集中できてよい。

かっこよくない生活が、実はとても幸せな生活かもしれない

ここまで述べてきたような睡眠中心の生活というのは、世間的にはあまりかっこいいことではないように思う。たとえば『ドラえもん』ののび太の趣味が昼寝であることは、彼が怠け者であるところを際立てるための設定でしかない。

しかし、そのかっこよくないライフスタイルが自分に合っているかもしれないのである。そしてその可能性に気付いたとき、プライドなどは捨ててしまって、自分にフィットするライフスタイルを見つけた方が最終的に幸せになれるように思う。

わたしの場合は、起きている時間が以前より短くても、効率よく仕事や私生活を進められている。さらに、睡眠が不十分だった時期は、うっすら眠い状態であることが自分への言い訳として機能してしまっていたが、意識がはっきりしたことにより、自分の限界を直視することも含め自分と向き合うことができていると思う。

もし、最近睡眠時間が取れていなくてうっすらとしんどいと思っている方がいらしたら、試しにいつもより大幅に早く寝たり、昼寝を加えたりしてみるのはどうだろう。もしかしたら、これこそわが人生と思えるかもしれない。わたしがそうであったように。

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フォーネスライフが提供する疾病リスク予測サービス「フォーネスビジュアス」では、自分の健康状態に合わせた生活習慣改善のためのアドバイスを受けることができます。

下記の記事では、自らフォーネスビジュアスによって生活習慣を改善した経験について、フォーネスライフ社の社長が語っています。自分に合った生活習慣を知りたいと思った方は、ぜひこちらもご覧ください。

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ココロ社
著者:ココロ社

大阪生まれ。東大文学部卒業後、テレビゲーム製作を経て平凡な窓際サラリーマンとなる。 傍らで珍妙なブログ「ココロ社」を運営。書籍の執筆もしており、著書に『マイナス思考法講座』(阪急コミュニケーションズ)『モテる小説』(阪急コミュニケーションズ)『忍耐力養成ドリル』(技術評論社)など。好きな犬はヨークシャテリア。

編集/はてな編集部