テレビの裏側で輝く「テレビマン」たちの人生と葛藤に光を当てる連載「テレビマンは眠らない」。今回は放送作家として『テレビ千鳥』『かまいまち』、『X秒後の新世界』『ZIP!』を手がけ、YouTubeチャンネル「渡部ロケハン」に携わる西村隆志さんに焦点を当てる。医学部志望から『電波少年的放送作家トキワ荘』の過酷なオーディションを経て放送作家に転身し、宿題の山に追われながらキャリアを築いた彼の、最も忘れられない「眠らない夜」とは何か。バラエティーへの愛と、過酷な業界で生き抜くための睡眠へのこだわりを軸に、彼のテレビマン人生を追う。

西村隆志(放送作家、株式会社UNAGI代表)
福岡市出身。中央大学出身。日本テレビで放送していた「電波少年的放送作家トキワ荘」に参加。グリーンのネグリジェを着た「グリーン西村」として6か月間、マンションと山奥の寺に隔離される。オーディションを経て、放送作家へ。
担当レギュラー番組(テレビ)■テレビ千鳥(テレビ朝日)■かまいまち(フジテレビ)■ZIP!(日本テレビ)■DAYDAY.(日本テレビ):担当YouTube番組●アンジャッシュ渡部がいつか地上波のグルメ番組に出ることを夢見てロケハンする番組 https://www.youtube.com/@watabe_locahunt ●カズレーザー&永野MC「5年後の世界」 https://www.youtube.com/watch?v=-y15AoKZ84E
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医学部志望だった少年が目指した放送作家の世界
西村さんは福岡県で生まれ、厳しい家庭環境の中で育った子供時代から始まる。
「小学校時代、21時 以降はテレビ禁止だったが、日曜20時の『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)が何よりも楽しみでした。この番組からビートたけしさんの笑いに魅了されました。あと中学の時には『ダウンタウンのごっつええ感じ』にハマりましたね。これらの経験が放送作家の発想の源になっています」
大学受験では医学部を目指したが失敗した西村さんは「医者の夢がゼロになり、テレビ番組を作りたいと思った」と、裏方への道を模索し始めた。中央大学在学中、知人の紹介で日本テレビ『電波少年的放送作家トキワ荘』に参加することになった。この企画は次世代のテレビ界を担う放送作家を輩出すべく、放送作家を夢見る一般人を寮形式で鍛え上げる内容。グリーンのネグリジェを着た「グリーン⻄村」として番組に参加した西村さんは半年間、マンションと⼭奥の寺で過酷な隔離生活を送ることになる。
「本当に辛かったです…。この企画はダジャレで食事量が決まるというルールなんです。ダジャレが〇だと食事が出て、△はパンの耳6本、✕だと絶食で、基本的には△だったのでパンの耳しか食べれない生活を送ってました。パンの耳を毎日食べると気持ち悪くて口の中に入らなくなって、支給されたイチゴジャムも受けつけなくなったので、イチゴジャムをポカリスエットにつけて少し凍らせてから食べたり、ストーブでトースト風にして、それをポカリスエットにつけて食べるとか試行錯誤して半年間、飢えをしのいでました」
奇抜な体当たり企画を輩出しテレビ界に伝説を残してきた『電波少年』らしさを感じさせるエピソード。実際に脱走者がいたそうだが、西村さんは放送作家になるという目標を叶えるために我慢する道を選んだ。パンの耳しかほぼ食べなかった彼の体重は、なんと60kgから46kg にまで痩せてしまっていた。
「合格しなければ、僕に明日はない」
『電波少年的放送作家トキワ荘』は、いわば放送作家の「スター誕生!」である。半年間のサバイバル生活の最終日に面接が行われ、そこで指名されれば放送作家デビューとなる。
「7人の番組プロデューサーが並び、自己PRを行いました。最終的には3番組から選ばれて晴れて放送作家としての活動を始めることができました」
実は西村さんにとって面接の前日が今までテレビマン人生の中で忘れられない「眠れない夜」だという。
「もしこのオーディションで選ばれなかったら僕の人生、どうなるのだろうって。半年間、毎週テレビに出て今だったら過激で炎上するようなことをやってきて、何のために隔離生活をやってきたのか。毎日企画を考えて、体重も46kgまで痩せて…。『合格しなければ、僕に明日はない』とかなり思いつめてました。だから放送作家になってからは悩みはほとんどないんですよ」
運命の最終面接を乗り越えた西村さんは晴れて放送作家の道を歩むことになる。

転機となった番組
若手時代は「ブランドも信用もないから、千本ノックのようにネタを量産した」と振り返る西村さん。放送作家として転機となったのが、 2007年10月から2008年3月まで日本テレビ系で放送されたバラエティ番組『ささるぅ』。女性が男性に魅力を感じることを「ささる」と表現し、女性をささらせるために、番組MCのおぎやはぎ・矢作謙さん監修の教則ビデオを紹介するという内容だった。
「番組のタイトルも自分で付けました。一から企画を立ち上げて台本も書いて世に送り出すことができたので、放送作家として達成感がありましたね。知り合いの女性から「あの番組、見ている。面白い」と好意的な声を聞き、 手応えを感じてめちゃくちゃ嬉しかったです。放送作家は一般企業でいうと『こうしたほうがうまくいきますよ』とアドバイスするコンサルタントのような存在。でも責任者は企業だと社長、番組だとディレクターなんですよ。だから『自分がやりました』とはなかなかいいにくい中で『ささるぅ』に関しては僕が思い描くように作ったという自負がありました」
大好きな『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』に関われたのが幸せだった
放送作家としてキャリアを積み重ねていくなかで西村さんにとって「嬉しくて眠れない夜」もあった。
「2007年の正月特番として復活した『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』(日本テレビ系)に末端の作家として関われたんです。憧れのたけしさんと一緒に仕事ができたのが本当に嬉しくて…。僕は『お笑いウルトラクイズ』が大好きだったので収録前日が テンションが高くなって寝れなかったですね(笑)」
ロケ当日になっても西村さんのテンションはさらに上がっていく。
「たけしさんがピコピコハンマーをもって芸人さんを叩いて、攻撃衛星〇✕爆破クイズ、目隠しカースタントクイズ とか過激な企画を現場で生で見れたので本当に幸せでした。最後、カースタント爆破があって火薬の量が多すぎて、とんでもない爆風が出たんですけど、林家ぺーさんがカメラを持ってかなり近くまでいってしまって。『これは大事故になる』と思ったのですが、スタッフが慌ててペーさんにタックルして難を逃れたことがありました。僕は『やばい!ペーさん、死んでしまう』と思いましたから」
『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』といった思い出のテレビ番組に関わることになった西村さんは「人との縁に恵まれた」と振り返る。
「『電波少年』に出演するためのオーディションがあったんですけど、知り合いがスタッフに『西村君って面白い子がいるから、見てあげてください』と言ってくれてたんです。何も実績もないのに、キャラも普通なのに、1,000人受けた中の5人に選ばれた。 その時点で誰かの導きで引っ張ってもらっていて、とにかく人との縁に恵まれたのかなと思います。これからも人との縁を大切にしていきたいですね」
人気YouTube『渡部ロケハン』から広がった仕事
西村さんは2023年からスタートしたYouTube番組『アンジャッシュ渡部がいつか地上波のグルメ番組に出ることを夢見てロケハンする番組』(渡部ロケハン)に放送作家として関わっている。『渡部ロケハン』では、西村さんが構成で関わっているYouTube番組『サウナノフタリ』のディレクターを務めていたソマシュンスケさんとコンビを組むことになった。
「ソマさんは飛び抜けた映像制作へのこだわりがあって、面白くてクレイジーなんですよ。『渡部ロケハン』に参加してから、他のグルメ番組に呼ばれたりするようになったので、僕の名刺代わりとなっている番組ですね」
また企業のYouTube制作にも声がかかる機会も増えたという。西村さんには企画を考える中で大切にしていることがある。
「企業や芸能人といった相手の話をよく聞いて、より輝いて活きる企画を考えることです。若手時代は自分が考えた面白いをぶつけて一方通行な企画ばかり作っていたような気がしますけど、特に企業のYouTubeに関わったのが勉強になりました。企業の意図に僕らが寄り添わないといけないんですよ。そこにテレビで培った面白く見せる方法をちょっと味付けとして加えています。相手のやりたいことに合わせた方がうまくいっている感じがします」

人気放送作家の日常
西村さんは現在、地上波レギュラー10本、YouTube10本、特番10本を抱える人気放送作家である。
「スケジュールの8割が会議なんですよ。朝から晩まで1〜2時間の会議が積み上がっていて、その隙間に台本を書いたり、企画書を出し続けるという日々を過ごしています。放送作家の仕事も色々とあって、コーナータイトル決め 、ブッキング、ロケ地選定、新企画とかありまして、本当に宿題が30本分溜まるんですよ。だから物理的に時間が足りないですね」
数々の番組を抱えるため、睡眠時間もなかなか思う様に取れていないという。
「若手時代は6~7時間は睡眠時間は 取れてましたが、今は4時間しか取れてません。睡眠を取らないと パフォーマンスが落ちていると思うんですけど、それでも仕事をするしかない。深夜1時に寝て、目覚ましを4時にかけ朝5時に起きているのでかなり不健康な生活をしてますよ。朝9時から会議なのでそれまでテンパって企画の宿題を仕上げてます」
テレビというベースがあるからこそ、色々なことができる
放送作家として活躍する西村さんは「将来は地元・福岡の素晴らしさを伝えるコンテンツに携わりたい」という夢を抱いて、今日も朝から企画の宿題に追われている。では彼にとって自身が世に出るきっかけとなったテレビとはどんな存在なのだろうか。
「僕にとってテレビは…基準なんですよ。今はYouTubeに関わる機会が多いんですけど、テレビでのお仕事はこれからも大事にしたいですね。テレビから培ったものがYouTubeでの企画提案に活用できています。テレビというベースがあるからこそ、色々なことができるし、時にはトリッキーなこともできる。やっぱりテレビから離れられないですね」
大企業・京セラ創業者である稲盛和夫さんの教えに「謙虚にして驕らず」がある。常に謙虚な姿勢を保ち、成功しても驕らず、他人を思いやる心を持つことが重要という意味だ。取材を通じて西村さんの謙虚で驕らない姿勢が、様々な仕事に繋がっているのではないだろうか。人との縁に恵まれることは、偶然ではなく必然なのかもしれない。
【編集後記】
西村隆志さんのテレビマン人生は、医学部志望の挫折、電波少年の過酷な試練、そして笑いへの愛で紡がれてきた。放送作家としての原点とメディアの進化を語る実践的な視点に満ちていた。電波少年の過酷なエピソードや、芸人さんのハプニングが飛び出した『お笑いウルトラクイズ』の裏話は、バラエティーの魅力を凝縮していた。睡眠の重要性を強調しつつ、「テレビは基準」という信念が強く響いた。
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取材・文 ジャスト日本
ライター、プロレス考察家。1980年福岡県出身、和歌山県在住。プロレスからビジネスジャンルまで、幅広く執筆活動を展開。現在アメブロで「ジャスト日本のプロレス考察日誌」を更新中。 著書に「俺達が愛するプロレスラー劇場 Vol.1」(ごきげんビジネス出版)「インディペンデント・ブルース」「プロレス喧嘩マッチ伝説」(いずれも彩図社)ほか多数。 |