幸運の風に乗り続けるために 〜放送作家カツオの「眠らない夜」と新たな挑戦〜

テレビの裏側で輝く「テレビマン」たちの人生と葛藤に光を当てる連載「テレビマンは眠らない」。今回は放送作家として『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)や『華大さんと千鳥くん』(フジテレビ系)など多数のバラエティ番組を担当し、ショートドラマ「白い基地」で独自の創造性を発揮するカツオさんに焦点を当てる。俳優を夢見て劇団を旗揚げし、突風がもたらした奇跡的な出会いから放送作家に転身、年間600本の企画書を書き上げた彼の、最も記憶に残る「眠らない夜」とは何か。笑いへの愛と、過酷な業界を生き抜くための睡眠へのこだわりを軸に、彼のテレビマン人生を丁寧に紐解いていこう。

 

カツオ(放送作家)

東京都荒川区生まれ。早稲田大学在学中に劇団「盗難アジア」を旗揚げ。主宰・俳優として活動。演劇活動と並行して、放送作家の活動も始める。過去、年間600本の企画書を書いた実績もあり、自称・企画書渋滞系放送作家。YouTube・Tiktok・インスタで、総再生数・約3億回以上。https://www.youtube.com/@shiroikichi/shorts

<現在の担当レギュラー番組>■ぐるナイ(日本テレビ)■脱力タイムズ(フジテレビ)■千鳥の鬼レンチャン(フジテレビ)■有吉ぃぃeeeee!(テレ東)■白い基地(製作総指揮&脚本)■劇団そふとばんく(脚本)■渡部ロケハン(YouTube/プロデュース)

________________________________________________

 

俳優の夢から放送作家への転換

カツオさんは、1980年、東京都荒川区で生まれた。学生時代に映画『Shall we ダンス?』を観て、竹中直人さんの独特な演技に魅了され、俳優への道を志す。また同時期に爆笑問題やフォークダンスDE成子坂に夢中になり、お笑いにも心を奪われた。

高校ではバスケットボールに打ち込み、全国大会を目指したが、芸能界への憧れは消えなかった。「テレビは笑いと演技の世界への窓だった」と語る。浪人して早稲田大学 に入学後、演劇と放送作家の道を探り始めた。

奇跡の出会いから放送作家の道へ

あれは大学入学式での出来事。自ら主宰を務める劇団「盗難アジア」のチラシを配布中、突風でチラシが飛び散るハプニングが起こった。チラシを拾うために各サークル関係なくみんなで拾い合った。そこで不思議な一体感が生まれて、それぞれのサークルでチラシを渡し合うことになる。カツオさんがもらったチラシの中に「アミューズ」のスタッフ募集のチラシがあった。

「入学式で起こったハプニングから生まれた絆からアミューズのスタッフ募集チラシを受け取り、放送作家の道が開けていったんです 」

当時、芸能事務所・アミューズでは大学お笑い芸人をサポートしていた。「NSC出身の校長が若手芸人をまとめていた。無償でも業界の空気を吸えた」と語る。この偶然の風が、放送作家としてのキャリアの起点となった。

劇団と放送作家の二足のわらじ

カツオさんは2000年から劇団を主宰し、看板俳優として活動していたが、2005年に劇団を畳む決断を下す。

「劇団をやっていた時は、役者9割、放送作家1割で両立はできていました。しかし、メンバーの就職やモラトリアムの終わりを感じ、放送作家に専念することにしました。集団活動を終え、個 人で勝負したかったというのが大きな要因ですね」と振り返る。劇団での経験は、後の企画や脚本に深みを加えた。

mixiを活用した戦略

2005年、カツオさんはソーシャル・ネットワーキングサービスのmixiとアメーバブログを駆使し、毎日企画案を公開していく。

「mixiのプロフィールを面白く書き、テレビマンに足跡を付けていったんです。そこで自分に興味をもってもらって『気になった人はこれを読んでください』とアメーバブログのリンクを貼り、チェックすると番組の企画案を綴った記事が見れるようにしました。当時、テレビマンはmixiを使っている人が多かったので、情報商材のような戦略でやってました」

mixiがきっかけでテレビ制作会社・ディレクターズ・ウェーブの鹿野裕昭さん に師事。1年間無償で企画を学び、放送作家として企画書執筆の「筋肉」を鍛え上げた。カツオさんによると鹿野さんはTVチャンピオンなどのディレクターだった方らしい。

「昭和のテレビディレクターである鹿野さんから企画の考え方を徹底的に教わりました。最終的には喧嘩別れしたんですけど、テレビの視点を身につけることができたので鹿野さんには感謝しています」

日本テレビで勝ち取った「カツオの一手」

2006年、日テレの黒川高さん (現・株式会社ウィークデー代表取締役)と出逢う。黒川さんは当時、日本テレビのバラエティー番組エースディレクターだった。

「黒川さんは、後に『スクール革命』や『ナカイの窓』『笑神様』等を立ち上げるテレビマンです。その方から声がかかったので期待して会議室に入ったら、30人の若手作家が集められていたんですよ。チャンスだと思ったが、僕はその他大勢だった…」と愕然とした。

日本テレビの会議室に集められた30人の若手放送作家は、特番『爆憶!ゴロワーズ 』用の語呂合わせのネタ出しを求められた。締め切りは1週間後。カツオさんはこの特番でのネタ出しを考える日々が、今までのテレビマン人生で忘れられない「眠れなかった夜」だと語る。

 

 

「他の作家はペラ1〜2枚で箇条書きでネタ案をまとめてくると思ってました。だからネタ出しの場で爪痕を残すためにペラ500枚のネタ案を台本形式で提出しようと思ったんです。あと台本にイメージ画像を貼れば、どのような映像にしたいのかがよりわかりやすいと考えました。がしかし、当時のインターネット環境はダイアルアップ。イメージ画像を貼る作業は大変でほぼ寝ずに作業を没頭しました」

1週間後、ネタ出しの場で他の作家が「作家〇〇、2枚」「作家〇〇、1枚」と呼ばれる中で「カツオ、500枚」と読み上げられると、会議室はどよめきが起こった。

すると後日、黒川さんから電話が。「『ネタを読んだよ。驚いたよ!明日からカツオはネタ出し作家ではなくて番組の構成作家として会議に参加してほしい』と言われて、その特番に携わることになりました」

後年、周囲のテレビマン仲間は、この出来事を「カツオの一手」と評して称えているという。

「あのペラ500枚のネタ出しは、僕の執念と情熱の結晶だったんです。他の作家を圧倒する行動力が、若手の中で目立つきっかけになりました。この『カツオの一手』が、僕のテレビマン人生の転換点になったと思います。死ぬ気で1週間寝ずに作業したあの夜が、今の僕を支えています」 

結果的に『爆憶!ゴロワーズ』がきっかけで他の番組スタッフからも声がかかり、日本テレビを中心に仕事が増えていき、テレビ業界での定着を果たしていくカツオさんは30歳頃からレギュラー番組が増え、安定したキャリアを築いていく。 

年間最大600本の企画書と成長の軌跡

こうして様々な番組に携わり、企画力を磨き、年間最大600本の企画書を執筆していたカツオさん。

「1日2本、毎日企画書を書いていました。そこで企画力が鍛えられ、『企画書渋滞系放送作家』になったのかもしれません。書くことで思考が整理され、未来が見えた」と自負する。この努力が、後の番組制作の基盤を築いた。

カツオさんが最も印象に残る番組として挙げるのは、2011年から2016年まで日本テレビ系で放送された『ネプ&イモトの世界番付』。様々な分野の世界ランキングと日本の順位を紹介し、各国の国情や風習の違いを解説するという内容だ。

「黒川さんと盟友である放送作家・丸山コウジさんと共に、日テレの食堂で企画を練り上げ、最初は2時間スペシャルとして放送され、好評を博して金曜ゴールデンタイムのレギュラー番組になりました。  『世界番付』は、僕にとって初めてのヒット作であり、企画の立案から深く関われた番組です。放送作家として成長できたと思います」

数々の番組に放送作家として携わることによりカツオさんは「時代に合わせてアップデートする企画力」も学んだ。

近年では日本テレビ系で長年放送されている『ぐるナイ』の人気コーナー「ダレダレ?コスプレショー 」(超メイク術で有名人が大人気キャラに変身する企画)を発案したのはカツオさんである。

「昔、『笑っていいとも!』で好評だった女装した有名人を当てるクイズを令和版にアップデートしたのがコスプレクイズ。ハロウィンとか若者のトレンドを取り込んで企画化してみたんです  」

 

人気YouTube「渡部ロケハン」誕生はカツオさん

2023年に誕生したアンジャッシュ渡部建さんのYouTube番組『アンジャッシュ渡部がいつか地上波のグルメ番組に出ることを夢見てロケハンする番組(渡部ロケハン)』で構成に参加しているカツオさん。実はこの番組がスタートしたきっかけはカツオさんでした。

「ABEMAで放送されていた『有田哲平の引退TV』に僕は構成として関わっていました。その初回放送にゲスト出演したのが渡部さんでした。『向かい風が吹き続ける中でも前向きに頑張りたい』という渡部さんの想いに心を動かされたんです。そこで渡部さんのDMに『一緒にYouTubeやりませんか?』とお声掛けしました 」  

今やチャンネル登録者数50万人を超えるYouTubeチャンネルとなった『渡部ロケハン』だが、カツオさんは「まさかここまで早く、人気チャンネルになるとは思わなかった」と語っている。

「YouTubeを見ていると演者・ディレクター・視聴者という三角関係が構築されているチャンネル人気が出ているような気がするんです。そう考えると『渡部ロケハン』演出のソマシュンスケさんが異常なまでに制作に対して熱いのが大きいですね」

人気放送作家が仕掛ける新たな挑戦

多忙な日々を過ごし、「仕事量が多くて今は4時間しか睡眠が取れない」と語るカツオさんが仕掛けた新たな挑戦…それはショートドラマ「白い基地 」だ。

https://www.youtube.com/@shiroikichi

若手俳優たちがコントやショートドラマを披露する縦型ショートドラマ&コントショー。カツオさんが脚本を手掛け、製作総指揮となり、YouTubeで動画が投稿されている。

「『白い基地』は1話完結のショートドラマです。目指しているのは令和の4コマ漫画として、Yahoo!やLINEとかで毎日更新されるコンテンツです。そこからこのショートドラマが1時間ドラマになるとか映画化、コミック化やアニメ化していけたらいいなと考えています。『サザエさん』は30分で10分1話を3本やっているじゃないですか。その配分を細分化して1分で30本とかまとめてやれたら面白いじゃないですか」

 

未来への挑戦と笑いの拡大

カツオさんにとってテレビは「人を笑わせるステキな道具」だという。

「僕は劇団時代から『トラブルがあって大変な時でも、団員たちに笑っていればなんとかなる』と言い続けてきたんです。そうすると何かいいことがあるはずだと。だから笑いを届けて、落ち込んでいる人が救われたりするとこんなに嬉しいことはないです。今はSNS、配信とか映像コンテンツがたくさんある時代だと思いますが、テレビは“人を笑わせるためのステキな道具”だと思っています」

放送作家を基盤に、脚本家やコント作家として活動しているカツオさんは今が全盛期を迎え、さらに大化けする可能性を秘めている。圧倒的な努力量に裏付けされた経験と実力を持つカツオさんだが、「実力とか努力よりも運に恵まれました」と語る。

「頑張り続けた先にいいことがある。そうやって運を味方にしてきました。僕の人生は火事場の馬鹿力で仕事をやると自然に発生する幸運という風に乗り続けているんです。そのために何ができるのか。時代にチューニングしながら誰もやっていない企画を生み出していくしかないんだと思います」

しみじみとこれまでの人生を振り返るカツオさん。その表情は晴れ晴れとした満面の笑みに包まれていた。

 

(編集後記)

カツオさんのテレビマン人生は、俳優の夢、突風がもたらした奇跡、そして笑いへの愛で紡がれてきた。彼が語る「眠らない夜」は、創造の喜びを凝縮した瞬間。その信念は、テレビとYouTubeを越え、笑顔を生み続ける。幸運の風に乗り続けるために、どんな風が吹いても、笑いと睡眠で新たな挑戦に立ち向かうカツオ氏の航海は、これからも続く。

取材・文 ジャスト日本

ライター、プロレス考察家。1980年福岡県出身、和歌山県在住。プロレスからビジネスジャンルまで、幅広く執筆活動を展開。現在アメブロで「ジャスト日本のプロレス考察日誌」を更新中。 著書に「俺達が愛するプロレスラー劇場 Vol.1」(ごきげんビジネス出版)「インディペンデント・ブルース」「プロレス喧嘩マッチ伝説」(いずれも彩図社)ほか多数。

 

 

foneslife.com

 

foneslife.com

 

foneslife.com